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インゴ・スワン「リアル・ストーリー」(20)

私は精神的なエネルギーを生成する方法についてまったく知らなかったので、ゼルダの真っ暗な寝室にはあまり入りたくなかった。でも、それはとても和気あいあいとしたグループで、マッキャンらは素晴らしく楽観的な人々だった。それに私たちは安いワインを少し飲みすぎていた。全員が被写体となり、私もとうとう椅子に座り、赤外線フィルムのために精神的なエネルギーを作り出す方法を案じた。

「やりたいことをやればいい」とバートは提案し、暗闇の中でカメラを構えた。 部屋は暑かった。私は笑いながらこう言った。「じゃあ、頭上約3フィートの高さに光のボールを作ってみるよ」

そこで私は頭の上に「エネルギーを集め」、あるいはそう念じた。私は直径約1フィートの光の球を「思い描いた」。

数日後、フィルムが現像されたとき、なんと、3つの別々のフィルムショットで、小さな光の球が私の頭上に映っていた。さらに私が「イメージ」していなかった他の光が私の体の輪郭を描いていた。他の人の写真にはそうしたものは映っていなかった。

私は何が何だか分からなかった。 しかし他の人は皆納得したようだった。「あなたは超能力者だ!」 と彼らは言った。そして、より多くの写真が撮影され、より多くの「成功」が得られた。 私のアーカイブにはこれらの写真が 2枚残っているが、最もいい写真を保管していたマッキャン家との連絡はとっくの昔に失われている。

さて、ここにゴシップの種が誕生した。そうした噂はほぼ光の速さでどこにでもあっという間に浸透する。それを「ニュース」と呼ぶ人もいる。 「最新情報」と呼ぶ人もいる。今日ならインターネットで瞬時に拡散するだろう。

とにかく、マッキャン夫妻とゼルダ夫妻は、写真証拠に基づいて「本物」の超能力者を発見したのである。 私は狼狽した。

ビューエル・マレン夫人の上流階級の人々とは異なり、ゼルダの周りには超心理学者が集まる傾向があり、そのほとんどが彼女の雇用主であるリード・エリクソンからの資金提供を望んでいた。一方で、ゼルダは単純にみんなに愛されていた。ゼルダのいくつかのパーティーには、数人の超心理学者と、自らを超心理学者と呼ぶ奇妙な人々が何人も参加していた。

私が覚えている最初に会った真っ当な人々のうちの最初の人物は、スタンリー・クリプナー博士だった。超心理学のリーダーシップのピラミッドの頂点に立つ後継者ガートルード・シュマイドラー博士とも会った。

彼らは写真を賞賛したが、それらは「厳格で科学的に管理された実験室の条件下で得られたものではない」ため、「非公式の証拠」にすぎなかった。

私は科学(生物学)を専攻していたので、「科学的方法」がどのようなものであるかを知っており、彼らの見解に完全に同意した。だからこの問題はすべて消え去り、終わるだろうと思っていた。

しかし、ゼルダたちは騒ぎを続けていた。 彼らによると、非常にとらえどころのないサイキック現象、つまり目に見えないエネルギーの撮影を目撃したという。状況をさらに複雑にしたのは、私が長年の超心理学読書の知識を長々と披露したことだった。何が起こったのか、あるいは何が起こったように見えたのかについて、ある種の魅力的な議論が展開していった。

この面白くてちょっと蒸し暑い夏の一幕から事態が広がっていく様子は、私の想像を超えていた。そのときには自分より大きなものに吸い込まれるという感覚はまだなかった。だがその半年後に私がメディアのニュースに取り上げられるようになると、報道されているものはもはや単なるゴシップではなくなっていた。

いずれにせよ、このちょっとした愉快な娯楽がすべての始まりであり、それはすぐに、何よりも奇妙で予想外の国際スパイ活動を伴う大冒険へと転じて行ったのである。

私が、この出来事がおおごとになるとは考えなかった理由の一つは、私が超心理学の研究室に招待されるとは予想していなかったからだ。 実際、現代の超心理学者は写真現象に興味がなく、本物のサイキック現象やいわゆる心霊現象にも興味がないことを私はよく知っていた。

超心理学の歴史的基礎は「被験者の実験」に基づいていたが、筋金入りの超心理学者は自らの「科学的理論」を検証し、一般に「現象」には関与しなかった。

エリート主義制度(現在も続いている)では、以下の峻別がある。
(1) 自分たちが科学的に正当であると考えているハードコアの超心理学者
(2) 現象に興味を持った多種多様なソフトコアの「超心理学者」
そして前者は後者を嘲笑している。
場合によっては、この分割は正当である。しかし他の場合には、それは逆効果であり、超心理学が引き受けるべき研究分野全体にとって完全に有害なものである。

ここで私は批判しようとしているわけではない。だが状況は一般の人々に大きく誤解されている。というのは、超心理学者たちはみな同じ方向に同じ船を漕いでおり、彼らの関心の本質は超能力現象の性質を特定するという取り組みにある一般には考えられているからである。

残念ながら、超心理学の分野にはさまざまな領域があるため、状況全体がぼやけて霧がかかっている。たとえば、ある超心理学者が他の超心理学者の研究を非難しようとすることは珍しいことではなく、外野にいる人々はそれを見て全部が信用ならないものと思う。

私が感じた憤慨の一部は、今後いくつかの出来事について私が述べるにつれてより明らかになるだろう。その苦痛に満ちた物語は、リモートビューイングという分野で生じた出来事の中で語られなければならない。

既に述べた通り、諜報機関が特定のバイオマインド現象に興味を持ったとき、彼らは超心理学や超心理学者には興味を持たなかった。なぜそうなったのかを理解する必要があるが、これまでの記述はその理解のための最初の基礎を築くものだ。

実際のところ、1971 年半ば当時、私はまもなく何かが起こることなど夢にも思っていなかったし、自分が「超能力者」と呼ばれることに憤慨していた。私は、ビューエルのグループとゼルダのグループから発信されるゴシップの流れに抗議し、「私は霊能者ではない!」と主張した。

だが私の抗議の声は完全に敗北した――その主な原因は、単純で狭い用語法によって知識と視野が制限されている人々によって引き起こされた混乱の雪崩だった。

一体誰が「霊能者」とは何かを知っているというのだろうか?

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