いつかの日記(11) (食パン、着メロ、SF)

日記のようなもの、つづき。

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食パンが好きである。ニンゲンのほとんどは水らしいが私の3分の1は「超熟6枚切」でできていると言いたい(一日三食のうちの最初の一食が必ずそれなのだから)。整然と切り揃えられたふかふかの断面、口の中でほどよくもたつく厚みと柔らかさ。全てがちょうどいい。焼いてもそのままでもうまい。あれは幸せの断面なのではなく、断面という幸せなのですよ。

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アマプラでつい『池袋ウエストゲートパーク』を再生してしまったら、「あの頃の空気」という実体のない郷愁に襲われて思いがけず疲弊。2話まで見て一旦ストップ…。
劇中でくっきりと演出的に使われる「着メロ」が印象に残った(主人公の携帯からビカビカ鳴り響く、♪Botn to Be Wild/Steppenwolf)。
通話ボタンを押さないと永遠のように繰り返されたのちプツンと事切れる、電子音で組み立てられた同一フレーズ。無慈悲な切り抜きとループ再生により「お気に入りの曲」は手のひらの中でもれなく壊死し、その空回りするメロディーが掻き立てる虚無の中に平成があった。

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荒俣宏『理科系の文学誌』。いつ買ったのかも忘れてしまったが、積読本の中からなんとなく読み始めた。まず、カバーがかっこいい〜。手触りもいい〜。手に取り確かな重みを感じながら紙の束を指でめくり文字を目で追う、読書という一連の体験の娯楽性に改めて気付かせてくれるデラックスな装丁。
普遍言語のユートピア、結晶化のカタストロフィ、エントロピーの美学、まだまだ前半なのにすでに半分も理解できていない自信があるが、饒舌に語られる言葉の一つひとつを目で捉えるだけで、自分の想像の死角を神輿かなにか賑やかで楽しげなものが走り抜けるような感覚。これまであまり触れてこなかったSF文学というジャンルの扉を開けたくなる。SF、それはきっと科学的知見の大地にふと現れるヒビ割れに、心身丸ごと吸い込まれた者だけが持つことを許される翼。

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つづく。


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