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早稲田卒ニート72日目〜みぎひだりどっち〜

私が幼少の頃、「どっちの料理ショー」という三宅裕司と関口宏が司会のテレビ番組があり、それぞれの側に料理人をつけて料理を披露する。そして最後、「今夜のご注文は、どっち?」と参加者らに投げかけ、左右のいずれかを決断するのだった。この時、選んだ人数の多い方に回った人だけが、その料理を食べられる。

YouTubeの動画でも、「みぎひだり、どっち?」と、両手に食材を持って選択者の背後に立ち、それが見えぬままに左右のどちらかを選んでは悲喜交々になる光景を見る。「右!」と言って良い食材を選べたかと思いきや、今度も「右」と言って、とても料理に使えそうもない食材を選んでしまう。この時、左右の手に持たれているのは、共に価値の等しそうな食材ではない。価値の天秤は左右のどちらかに偏重する様にして、食材は選ばれている。

これらは2つとも、どうあれ左右のいずれかに優劣を認めてこそ行われることであるに違いない。しかしそもそも左右とは、ただその方向が逆であるのみで、そこに価値の優劣など無い等しい力関係ではなかったのか。

しかし「左遷」という言葉がある様に、「左」を下位として見る価値観があったはずだ。が、古代中国では唐の時代に関係が逆転し、左が上位に転じたという。

ところが「右に出るものはいない」や「右に同じ」などと言う様に、やはり「右」を優位に認める価値観も確かにあろう。何より英語の「right」には、「右」という意味のみならず、「正しい」や「権利」という意味さえある。野球でもホーム球団のベンチは「ライト側」にあり、アウェーのチームが左に回ることになる。さらに日本では昔は、左利きの人は右利きに矯正されもしていた。そういえば左利きの生活不便について、嵐の二宮和也がよくテレビで嘆いていた。

左右の問題について、他にも身近な例はたくさんありそうだ。味噌汁はご飯の左に置くか右に置くか。ラーメンのレンゲは右向きに据えてお出しするか左向きに据えるか。同じ様にコーヒーカップの持ち手はどうか。

何かと左右について迷いをめぐらすことがある以上、果たして右と左はシンメトリックな対称性をなすのか、疑わしくなってくる。いやそれでも、こんなことはどれも思い込みや些細な違いでしかなく、やはり左右はただの逆ベクトルに過ぎないだろうか。ともかく、あいにく不勉強極まりないゆえ、私はこの問題について右も左もわからない。

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