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早稲田卒ニート171日目〜ここで生まれた〜

今日も警察へ行ってきたが、相変わらず警察というのは無能である。


私が生まれた産婦人科は今年になって撤去され、そこはもう空き地となった。誕生の瞬間に対する自覚は無いから、産婦人科が潰れたところで何のセンチメンタルにもならない。ただこういうとき、ここで働いていた人たちは仕事を失って、これからどうやって生きていくのだろうかと思う。ここでは、産婦人科は潰れても、目の前に駐車場がまだあった。

産婦人科がなくってから数ヶ月だろうか、この専用駐車場だけは残っている。ここもやがて看板が取り外されるのかどうなのか。看板だけ残されている理由が全くわからない。尤も、こんな場所の駐車場なんて、あったところで誰も使わないだろう。

近くには、小学生の頃に遊んだ公園がある。久しぶりにブランコを本気でやった。夕暮れ時の誰もいない公園で独りブランコ遊びに興じる塾講師の休日。悪くない。途中、ちょっと向こうの駐車場に車が停まり、降りてきた母と子がこちらを見て、「ほらあれ見て、すごい高くまで漕いでるよ、すごいね」と言っている。やめてくれないか。照れるじゃないか。

見られている自分の視点から翻って、母と共にいるその子の視点に立ってみる。すると、そういえば私は、小さいころ隣に親が立っていたという記憶が、どうしても思い出せない。無かったというわけではないが、記憶に残っていない。世間の人は、家族の思い出というのはどれくらいあるのだろう。やはり旅行とかに行くんだろうか。


大学生の頃だったか、ビートたけしの名言録の様なものをネットで読んだ。

30過ぎて親を許せないヤツは馬鹿だ。

この言葉に対して直ちに拒絶反応を示した。一生許さないと少年の頃から心に決め、浪人時代にはハッキリとそう言ってやったほど、親を恨むことで自己形成してきたという個人史を持つ以上、この言葉は、私の自己形成史を動揺させるものである。

大事なのは、たけしのこの言葉それ自体ではなく、この結論に行き着くまでのプロセスである。なぜ、30過ぎて親を許さない奴は馬鹿なのか。その論理の方をこそ知りたいのである。が、調べれど調べれど、詳細は出てこない。私が示した納得できないという拒絶反応も、この論理の不在というところに原因があるだろう。

もとより私は親を許すつもりなど、これまでと同じくこれからも一切無い。馬鹿だと言われようと改心などするはずもないが、理屈も無しに馬鹿だと言われる間接経験は、どこかで胸の引っかかりとなり続ける様な気がしている。


それにしても、たけしはいいことを言う。

若いのが作法を学ばないのは、手本になる大人がいないからだ。少なくとも男にとっての作法は、ある種の憧れだったり、「あのときのあの人は格好良かったな」という記憶だ

赤子の頃に歩くことを覚えた様に、作法もまた、手本を真似することで身につけていく。そのとき、真似したいと思える手本としての大人がいるかどうかだ。これは教育の根本でもある。

格好良い大人というのはそうそう出会えるもんではない。それに、誰を格好良いと思うかもそれぞれ異なる。ダサくて頭悪いのに格好良いと思われる大人だって、ガラの悪い奴らが集まる環境にならいるだろう。

バーを知らない大人に格好良い人はいない。これは大学生当時に、経験的に直感したことある。その直感は今でも何ら揺らいではいない。むしろ、その確信を強めつつある。若者よ、バーへ行け!

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