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絶望と希望の狭間で気づくセーフティネット【立花】

4月から、たずさわるはずだった仕事が、飛んだ。

コロナウイルスの影響で、さまざまな催事や事業が自粛、中止、延期の判断を迫られ、わたしもその余波に呑みこまれた。

先週「退屈だ」などと呑気なことを書いていた自分に「君、仕事なくなるよ」と未来に追いついたわたしから教えてやりたい。

たずさわる仕事の性質上「もしかしたら」とは、思っていた。誰が悪いわけでもない。

うっすらと予感していたおかげか、そこまでショックもない。

「お願いするはずだった案件が、無くなりました」と聞いたのは、これを書いている、たった数時間前のことなのだけれど。

途方に暮れず「あー、そっか」と、あるがままの事実を受け止め「じゃあ4月から、どうしよっか」と切り替えられるくらいに落ち込まずに済んだのは、わたしがいま下川町に居るから、という事実は、とんでもなく大きいように思う。

もしこのまま意気揚々と東京への出稼ぎに向かい、同じ宣告を受けたとしたら、今よりもっと心細い思いをしただろう。

ましてや、東京にずっと住んでいて一つの仕事しかしていなかったとして、やはり同じような状況に立たされたとき、果たして今と同じくらいの軽やかさで「じゃあ、次どうしようか」と切り替えられただろうか。

想像するだけで、わたしのメンタルで耐えうるとは思えず、ゾッとする。4月からの仕事にワクワクしていたから、尚更。

今のわたしがその立場に置かれたとするなら、東京に住み続けることは、おそらくできなくなる。

夢も希望もいったん保留にして、実家に帰るかもしれない。

一方ここ(下川町)では、町内にいくつもある飲食店の打撃を憂いて家族で外食する人がいたり、ケータリングを頼む人がいたり、食に関することだけでなく、お互いの仕事をつくりあったり、雪むろで保存しておいた野菜をお裾分けしあったり……なんて姿が、ちらほら、見られる。

わたしも「予定していた仕事がなくなりました」と言ったらすぐに、周りの人たちが、来年度の仕事の枠を作ろうかと提案してくれたり、「困ったときは言いな」と声をかけてくれたり、わたしがあんまり「4月からどうしよ〜」とのんびり言うもんだから「どうしようね〜」と一緒に考えてくれたりする。

もとくらで始めた「自治ってなんだ?!」特集を走らせ始めて、まさにいま、さまざまな“当たり前”とされている構造が崩壊し、手堅かったはずのセーフティーネット──それはつまり会社やお金かもしれない──が、個人を守りきれなくなってきた。

こういうことが自分の身に起きて、なおさら「自分で生きていく力を養う」ことこそ「自治」なのだという直感は、2018年の胆振東部地震から強まるばかり。

自分を守れれば、誰かを守れる。それが、家族、友人、知り合いと広がって、セーフティーネットがつくられる。

セーフティネットは、平田オリザさん著『下り坂をそろそろと下る』にもある下り坂を、“そろそろ”下るための命綱だ。

もう下り坂に突入していることは、ずいぶん前から自明だったはずだ。

仕事は無くなり、一億総貧乏時代になるかもしれない。

でも、わたしの場合は、生き抜く胆力を鍛え、試される時期が、ほんの少し早まっただけだ。

それに、わたしだけでなく多くの人が、これからどうやって「貧乏ながらにご機嫌に生きるか」を、考えざるを得ないタイミングが、遅かれ早かれやって来る気がする。

「自分で生きていく力」を、早く身につけなさいよという、もたもたしている場合ではないよという、いつか来るはずの未来が先回りしてやってきただけ。

まあ、朝になったら「なにを呑気なことを」と思うかもしれないけれど。

#わたしのセーフティーネット #わたしの自治

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