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7万年前の人類に聞きたいこと

もとくら編集部のメンバーが、それぞれの特集について考えていることをさらけ出そう!ということから始まった『もとくら航海日誌』。

小松崎さんと立花さんに続き、今日は私・小山内の『言葉の一面』特集に紐づいて、考えたことを書き連ねます。

最近、進撃の巨人を読みながらふと、人間の定義ってなんだろう?と疑問に思った。(※進撃の巨人が、「人が巨人になったり巨人が人になったりして、人類が巨人兵器の危機にさらされる話」というのは読んだことがない人でもなんとなく知っていると思うので、省略)

私たち人間は、その大元を辿れば猿であり、猿から進化して人間になった。というのは、広く知られた常識である。だけど、猿人、原人、ネアンデルタール人、ホモ・サピエンス(現生人類)……一体どこから人類で、どこから人類以外なのか自分の中であやふやになってしまっているなぁと思った。極端に言えば、「猿人は人類?それともホモ・サピエンスから人類?」という状態だった。

高校生だったか中学生だったか、忘れてしまったけど、歴史の教科書には「火と言葉と道具を使うのが、人間」と記されていたことを記憶している。

この考え方に則ると、人類の起源は少なくとも7年前より昔にはならない。なぜなら、猿から進化を重ねた私たちが、母音の発声ができるようになって言語を操る人類になったのが、7万年前からだから。

ホモ・サピエンスの誕生が、10万年前とされているので、「じゃあ人類の起源はホモ・サピエンスくらいからでは?」と思いたくなる。けれど、あれこれ調べているうちに、そう簡単な話じゃないらしいことがわかった。

なぜなら科学雑誌ですら、未だに人類の起源について猿人を論ずることもあれば、言葉を獲得したホモ・サピエンスを論じることもある。また最近では、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人と全く別物ではなく、ネアンデルタール人との混血だという研究結果も出ていたりする。

じつは人間の定義って、未だどんな国でも非常に曖昧なものなんだろう。火と言葉と道具を使うから人間、というのは、昔はすんなり飲み込めた。けど今はもうかなり、無理がある提案な気がしてきたのだ。

猿が進化して直立二足歩行するようになった猿人が誕生したのは、約300万年前とされていて、(繰り返しになるけど)これを人類の起源とする説もある。私たちが言語を獲得した人類になったのが本当に7万年前なら、猿人誕生からそこまでかかった期間は、約290万年。人類なのか人類でないのかは一旦置いておいて、ホモ・サピエンス以前の生命の方がとんでもない歴史を重ねてきたのは事実だ。

私たちが言語を獲得する7万年前より以前、私たち遠い遠いご先祖のコミュニケーションはどんなものだったんだろう。言葉がなくても、誰かを信じたり、誰かからの愛情を感じたり、できたのだろうか。

もしも、言葉を使う前の私たちの祖先が言葉なしで他者と心地よく関わっていたら、なんだか救われた気持ちになる。言葉の重みから解放された気持ちになるからだ。言葉がなんでも可能にすると信じ込んでしまうと、コミュニケーションを言葉に依存してしまって辛い。言葉で必要以上に傷つきすぎたり、他人が全身から出しているいろんなサインを見落として言葉にばかり意識が集中してしまうようになる。少なくとも私はそう考える。

7万年前の人類に聞きたい。言葉を獲得して、何を得て、失ったのか。

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