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2020

今年が終わる。そう言われた時に実感があることは少ないものだが、今年ほどその実感に乏しい年もない。

とにかく光陰矢の如し、過ぎ去ってしまった2020だったが、思い返してみるとそれぞれの時期ごとに色を強く変えた一年だった気がする。
"コロナウイルス"というものを基準にこの年を見るなら

1〜2月中旬 ポストコロナ期
2月末〜3月末 コロナ襲来期
4月〜5月末 緊急事態宣言期
6月〜8月末 コロナ共生模索期
9月〜12月 新生活スタイル定着期

個人的にはこういった感じだった。これに従って今年を振り返ってみる。年々概念的になっていくのもなんなので、今年のブログの前半はちょっとチープだが出来事ベースで書こうかなと。
1〜2月初旬、去年のブログで書いた変化と立ち向かった2ヶ月。


愛着のある職場から離れ、愛していた生徒たちと離別せざるを得なかった。新しい職場をなんとか決めて、でもいつまで経っても迷いは消えず、何度も自分の選択を考えていた。もちろんマイナスの気持ちに沈むだけでは去年の二の舞。勝ちを見据えて生きていた時期でもあった。個人的に思うのは、この時期はまさに「2019.5年」だったと言える。

2月末、コロナウイルスが突然"日常"を遮った。突然終わる学校、最後の授業をすることなく終わってしまった前任校での日々、あの時ほど世界を恨んだこともないってほど毎日怨嗟を叫んでいた気がする。歯を食いしばって大切なものを守ろうとしていた。2019に加えてまだ俺から価値を奪い取るのか!自らの矮小さを呪った。今年で一番落ちていたのは確実にこの時期だったと思う。湯木さんの新曲の告知にはだいぶ救われていたし、既存曲にも多く助けられた思い出がある。

人の感情に関わらず日々はまわる。3年教えた愛娘たちを卒業式で見送ることができたことでなんとか折り合いをつけた感情に迫り来る新生活。個人的に、無制限という意味で本格的な一人暮らしは初だったので引っ越しは大きなイベントだったが、感覚的にはカジュアルに決めてカジュアルに移動した感があった。移動してからは新生活という概念のおかげでおそらく人々が1番キツかったであろうこの緊急事態宣言期をポジティブに乗り越えられた感があった。

6月に緊急事態宣言が解除されて、ようやく「新年度」が始まった感があった。ここからの3ヶ月は新しい人間関係の始まりだったと言える。新しい職場での出会い、ゆきんこに関しては企画による新しい繋がりの萌芽。やはり人との繋がりというのは人生の速度を早めると思った。ふだんなら夏休みで1.5ヶ月くらい休みがあるところ、夏休みが2週間だったのも相まって、この6〜9月飛ぶように過ぎた。スキル的に得たものも多かったし、多くの気づきがあった時期でもあった。湯木さんの「選択の心実」「スモーク」の一連の発表が怒涛のようにあったのもここだった。新鮮な感情を常に得ることができていたと思う。

9月〜10月は世界がコロナというものに一種"慣れた"空気を醸し出し始めた時期だったと思う。この時期はとにかく仕事に忙殺された。新しい職場とはいえ、自分ももう新人ではない。勝手がわかって、裁量を得た以上、キャリアのためにスタートダッシュは早ければ早い方がいいと思ったので、なんでもやろうとした結果、10月は休日4日だったり、、四年目にして言うのもなんだけど、少しづつ社会人というものが真の意味で「当たり前」になっている感があった。

10末〜12月は、外に出て行く日々だった。12年ぶりの山手長津田歩行、山形、渡航全通、仕事での長崎出張、秩父旅行、福岡遠征及び阿蘇野聖地巡礼毎週のようにイベント的に遠出をしていた。自粛というものがあるとするなら逆行であり、Go Toを活用するという点では適応だった。コロナというものに意識を向けながら、それでも新しい日常にどう適応し、それをどう捉えて動くのか。基本的には「動く」スタンスを選択した自分にとって勝負の2ヶ月だったように思う。周りで感染者が出なかったのは幸運であり、意識の結果でもあったはずだから、いろいろなことに感謝しながらこれからも「緩めずに」「動くことを厭わない」スタンスを貫いていこうと思う。

さて、具体例時系列ベースで振り返ってきたが、概念的な話をしないわけでもない。今年がどんな年だったかと言われたら、確実に「分断」の年だったと思う。nn氏のブログを読んで感情的共感こそしなかったがこの言葉には強い共感があったから引用させてもらう。物理的分断は言うまでもない。移動を制限され、イベントが縮小し、オフラインで"会う"機会は確実に減っていた。それ以上に深刻だった感情的・意見的分断"コロナをどう捉えるのか"に基づくこの分断や人の目が、確実にさまざまなものを縮小させていたと思う。

伝統は消え、価値は失われ、受け継がれる思いも一度断ち切られる。そんな毎日だったと思う。

だからこそ、価値とはなんなのか、どうやって価値を生かしていくのか、「どう行動していくのか」それを考えはじめなければならない一年だったと思う。

オンラインを活用すること。オフラインを正しく理解し、恐れ過ぎないこと。

今まではきっと動くことがただ正義だった。ただこれからはきっと違う。分断があるからこそ、「なぜ動くのか」「何を根拠に選ぶのか」すべての行動に厳格な考えと意識を持たなければいけない時代がきているんだと思う。

「俺はこう考えているから動くんだ」それを明確に伝えられるようにならなければならない。
基本スタンスを「動くこと」に置いた以上、分断を恐れずこれからも戦っていこうと思う。
そしてもう一つ、この情勢だからこそ生まれた愛がたくさんあった。

ゆきんこに限らずだが、会えないからこそ、人々は何かしらの形でつながることを選んできた。今年だからこそ生まれた繋がりをこれからどう守り、どう発展させるかはきっと大事なテーマだろうなと。2019に「人間関係の棚卸し期」を迎えてある種「失った」「薄まった」関係が多かった自分にとっては特に。

さて、思ったよりも長くなってしまったからまとめに入ろうと思う。いつも通り、最後は湯木さんへ。

時系列の中でも細々と出したが、今年も湯木さんを中心としたレイヤーは自分の大きな柱だった。ゆきんこのつながりにコロナの鬱屈をさまざまな形で吹き飛ばしてもらったのはもちろん。都度ある彼女の活動は日々にわかりやすく潤いをくれた。

いつもそうなんだけど、湯木さんの語るテーマは自分のその時その時のテーマとの一致がすごい。今年の「スモーク」「選択」という2つのテーマ、さまざまな自分の意思決定の背中を押してくれた。

彼女はこれまでと違い、わかりやすく前向きな来年を見据えて、という形じゃなく、ひとつわからない中で休みをもらって新年を迎えることになっているわけだが、だからこその模索と期待がきっとあるのだろう。自分も来年は勝負の年。(毎年言ってるけど)貴女の模索と飛躍を祈りつつ、それに負けないように生きよう、とか勝手に思わせてもらいます。

今年も。いつも、ずっと、ありがとう。来年も、よろしくお願いします。

鷲津

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