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解かれた先で

2021.9.29
心解くを聞いた。

視聴2回目、
少し歌詞を追うゆとりができて、歌詞を追った結果、見えた世界について。



"間違いばっかの毎日で、守りたいものも守れやしない"
"当たり前になる"命"で今を、どう生きる"



2019, 『産声』で
"気づかないうちに、命も当たり前になるのかな"
"心配なことは増えたけど、守りたいモノも増えたんだな"
"気づかないうちに、強くなってたんだな気づかないうちに、愛を全部力に変えたんだろう"
と歌っていた湯木さんが、
2020, 『スモーク』で、
"当たり前のように生きてきて彷徨って、また血迷って求めすぎた僕の現実がこれだ"
"ないものねだりの僕らが決めたないものねだりのルールの中で彷徨って、また間違ってまた彷徨って、また間違って"
と歌った末に、この曲、この歌詞がある。
守りたいモノが増えて、果てしない不安の中にいても、それを力だと信じて進んでいた彼女が、どうしようもない現実に突き当たり、ただただ水の中だと思い知り
そしてそこから脱却してもなお、
"守りたいものも守れやしない"と嘆く
日々目まぐるしく変わる世界の中で、
何も変わってない、
そう叫ぶ彼女の慟哭が聞こえた、そんな気がして。

大切なものは変わってしまうのに大切なことは変えることができない
でもだからこそ、
"変えられないと思う時間は、僕らにはもう、要らないだろう"
と顔を上げる。
決して前に進めている言葉ではないと思う、けれど、確実に、顔を上げる。

過去の自分なら、これを彼女の強さとか、美しさとか、そういうものに結びつけて賛美したのかもしれない。
でも、なぜか今回聴いて喚起された感情はそういうものではなかった。



湯木さんが拍手喝采のリリース前に、ツイキャスで言っていた言葉がある。
「今までの湯木慧は"寄り添う系アーティスト"だったけれど、今回の拍手喝采を機に、真の意味でアーティストになる、そんな気がしている。これからは"答えを示すアーティスト"になる」
この曲を聴いた時に喚起された感情は、その言葉とは逆だった。
僕の中では今までの湯木慧は間違いなく「答えを示す」アーティストだった。闇の中にも必ず一筋の光を見出し、それを歌詞の中で明確に落とし所に落としてくれる。そんな彼女の歌詞は、常に僕の道しるべとなってくれていた。
だからこそ彼女の強さや美しさが、強く強く印象付けられてきた。

でもこの曲からは、この歌詞からは、
強く扇動される力じゃなく
ただ隣に寄り添われた、そんなあたたかさを感じた。


映画主題歌としてこの曲『心解く』を見た時、彼女はこの曲を「劇中の光になって書いたつもり」と表現していた。
ブックレットには光について、こう書かれている
"だんだんあたり前になっててもうどうすればいいか 分からなく なっていって前が見えない 暗闇でも、
あたり前の毎日を特別にするような光を"


当たり前の毎日それは変わらない毎日
それを暗闇と呼ぶあなたが、光になって歌うラスサビの詩
"絡まったまま解けなくなっても
何回も、何回も、何回でも
迷った時、道しるべになると、
何回でも、明日を描く"

"愛と苦しみと"

湯木さん

"明日を選ぼう"

選ぶのと描くのは違うんだろうか。

鷲津


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