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from26 to 30

26歳2日目がもうすぐ終わる。初日は怒涛の中で過ぎ去ってしまったので、遅ればせながら書いている。

自分の中で節目の年というものがいくつかある。25歳というのは間違いなくその中のひとつで、この1年間をどう過ごすかということは自分的に結構テーマや目標があった。結果的に25歳は自分が思う形にならないということを尽く思い知る一年になったのだが、学んだことや考えたことも多かったのでそれをまとめておこうかと思う。2019の末に言語化が不可能だったこともある程度まとまってきたので。

目標のひとつは、仕事を固めることだった。本当なら22で新卒で勤めた職場で正職員になるルートがあったのだが、それが時流の流れで突然無くなってしまい、10月に就活をせざるを得なくなった。結果的に別の場所で正職員になれたので、ある種目標は達成したのだが、この場所や、選択が本当に良かったのか、については納得いっていないことが多々あって、置かれた状況で最善は尽くしているものの、まだ目標の半ばなんじゃないかと思っている。

よく言えば今を楽しく強く生きる能力が高い、悪く言えば満足のハードルが低い、そんな自分だからこそ、流されて生きてしまうと下流へ下流へ、だと思うので、ここに関してはまだ妥協や満足をするには早いと日々思いながら生きないとなと。自分の不甲斐なさのせいで送り出してやれなかった彼女達の為にも。

目標の2つ目は、今持っているリソースの強化だった。これに関しては、目標達成どころか25歳のほとんどの時期でリソースを失ってしまった。失った、という表現が正しいのかはわからないけれど、自分の中では明確に後退だったし、それによって人生で最も苦しい期間を過ごしたのも間違いなかった。今はその全てに対してある程度の解を得たので、(ひとつは仕事なので割愛するが)それぞれについて記しておこうと思う。

①コミュニティについて

所属するコミュニティは多ければ多いほうがいい。居場所、もとい精神的支柱となる足場を複数持って三角飛びするのが健全な人生であり、一つのもの、ひと、場所に依存するとそれを失った時に破綻する。と思って比較的たくさんのコミュニティに身を置いていたつもりだったのだが、職場、中高大学の友人、ネット、あらゆるコミュニティが一時無に帰した感覚があった瞬間があり、まあまあ後退を感じた。

先に書いた「居場所論」的な価値観ももちろん自分がコミュニティに求めるものの一つではあるのだが、さらに僕の場合、コミュニティは自己実現のための大切なリソースでもある。「村づくり」という言葉をよく用いているのだが、なんらかの原風景の共有による琴線の近さと、能力を兼ね備えた人間たちと一緒に、その時その時の興味に沿った行動を打ち続けること、そしてその中で影響力のある立場にいたいという精神性があるので、コミュニティは僕の中で手段であり、大切な武器だと思っている。そこでリソースの強化という意味で中の人間たちの共通言語を増やそうとしたり、別の道をあえて歩みながら情報共有を欠かさずしたり、同じ場所で毎日同じ文脈を共有したりしていたわけなのである。

まぁ予期せぬ事故とか意思決定による犠牲とか想定してなかった転職とかでことごとく積み重ねたものが台無しになったと思った瞬間もあったのだが、積み重ねていたという精神性と行為自体には価値があったらしく、どのレイヤーでもきちんと自分を評価し、ついてきてくれる存在がいたこと。そして誠実さの表出によって回復するものがあったことの2点で最近では実質失ったもの、後退のレベルは微々たるものだということに気づけたので、新しいレイヤーや新しい体制でこれからもこのスタンスを維持して強化を図ろうかなと再起している最中である。詳しくは後述する。

②パートナーについて

人生の中で分岐点はいくつかあるが、その中でも最大級のものとして結婚があるのは間違い無いと思う。その上でお付き合いさせていただく相手というものは大きなファクターなのだが、これについて大きな意思決定と価値観の醸成をした一年だった。リソースの強化という意味では、結婚に向けての流れを作るのが本来の目標だったのだが、真逆の方向性に進むことになった。結論から言えば結構な長き年月続いた相手との関係性に終止符を打ったという話だが、ここで書くのはその相手とのどうこうという話ではなく、人生観と恋愛観の話。

パートナーというものには
(1)時間を共有する相手
(2)家族を作るためのもの
の二つの性質があると思う。

この中で(1)についてだが、いわゆる恋愛的なさまざまなムーブをあらかたやり尽くした後、思ったことは、結局僕は隣で共にぶちあがり、高め合える人間と時間を共有することに価値を求めるのだということ。じゃあそれってパートナーにならんとできんのか、と問われたときにそうでもないということに気づく。もちろんそうであったほうが導線的にやりやすいことは多々あるのだけれど。

高め合う、というのはとても難しいことで、お互いがお互いの価値を認めた上でそれぞれの価値を最大化するように動く必要がある。もちろんかなり強力なお互いに対するリスペクトのもと繋がってはいたが、さまざまな文脈の絡み合う関係値の中それを可能にするのはなかなかに困難なことであり、そしてそれが実現できない以上、この件は(2)に話をフォーカスせざるを得なくなってしまう。(1)は友人とやればいいのだから。

そう思ったとき、強烈な好きという感情と実際的なさまざまな問題を秤にかけ、自分の中にある感情がお互いのためにならないと判断して、逆向きに舵をきってしまった。もちろんその意思決定に後悔はないし、なんだかんだ互いにとってより良い形になっているのでそれについては良かったと思っているのだけれど。ただこれから先そういう関係を再度結ぶ際の価値観はかなり複雑化したし難しい話だなとは思った。

2020の初詣で2社に今年恋愛するとろくな目に合わないって御籤に書かれたので、今年は基本的に大人しくしておこうかなと思っている。よりプライオリティの高いやりたいことがたくさんあるし。

まあなんにせよ、いくら概念ベースでの話と前置きしたとしてもこういう話はデリケートな問題でもあるから多くは語らない。究極ふたりの関係性に口を出せる第三者なんて存在しないと思ってるし。

ただ、ひとつエゴとわかっていても言いたいことがあるとすれば、考えた結果とは言え自分でも大概な終わり方をした上で、誕生日にまた連絡をくれるくらい彼女は人格者だったわけで、尊敬しているし、積み重ねた年月は誠実なものだったこと、無駄なものはなかったことだけは言える。感謝が尽きん。結果共に歩む道こそ選ばなかったけれど君に勝るひとなんてそういないと今でも思う。

さて、25歳が節目、というのは前述したが、次の節目は間違いなく30である。30までは自分の風呂敷をいくら広げても価値になるというのはよく言われていることだし、僕もそんな気がしている。

30からの人生は30までに広げた風呂敷を綺麗に畳んで一つの作品を作り上げることのような気がしているから、そこに至るまでの5年はかなり大切だと思っている。その始まりが26ということで、概念的なものから具体的なものまで、大きいものから小さいものまで様々な目標をひとつひとつ叶えていく、そんな一年にしたいと思っている。

今までの人生、自分の怠りに勝てず目標を達成することが少ないものだったのは自認しているので、そろそろ本当に勝たなくてはいけない。

①本質的自立を果たす

客観的に見て今までが自立してなかったと思っているわけではないけれど、一人暮らしを本格化したとかわかりやすい指標もあるので、経済的精神的により自立した個を確立する。
生活面においては仕事と趣味を回しながら生活レイヤーのルーティンを綺麗にデザインしながら節約して貯金するのが目標。精神面においては、拠り所を他者ではなく自己に完璧におけるくらいの強さを得ること。これについては②以降の目標を達成して行くことにかなり依っている。とにかく、太陽に近づいても溶けない耐熱性の強靭な翼を得なければならない。

②自己投資に時間とお金を惜しまない

これは目標としては概念的なものだが、腰が重い自分が強さを得るためにはこれに尽きると言ってもいいくらい大切な目標。今年に関しては他者ベースで動くのを基本的にやめようと考えていて、自己ベースというものを考えたとき、様々な自己投資を積極的に行おうと思った。
もともと自己肯定感は高いけれど、さらにそこに根拠を増すことで磨きをかけていきたい。具体的には自分の肉体に対する投資と、能力に対する投資と、設備に対する投資。

③編集技術の強化

動画編集に関しては、編集ソフトを極めるだけでなく動画構成にもっとこだわりたい思いがある。そしてメインは音源編集。26こそMIXを特技にして歌ってみたをニコニコにあげる。
歌い手になるのが目標というより、様々なものづくりの導線をスムーズにして編集者として成長したい。一つの指標は、依頼を本当に受けたりするかは別として、編集で金を稼げるくらいになっておきたい。

④英語運用能力を強化する

まぁこれは日々やってはいるんだけど、明確な形のあるものを何かしら残す。それが資格の点なのか、英語を運用して作る作品なのかはその時のモチベーション次第だが、本業の幅を広げるために、なんらかのアウトプットを行うことで強化を図っていく。
本業で必要ってのも当たり前の理由なんだけど、それ以上に、英語科の教員という肩書を使って別文脈で活動する強みをかなり認識した2019年だったので、それをどんどんやっていくためにも英語更にできるようにしておきたいというモチベーション。

⑤ コミュニティ、人脈の強化

村づくりは変わらず目指すので、これももちろん継続した目標である。個人的なキーワードは「継続性」と「原風景と新規性の両立」のふたつ。「去るもの日々に疎し」という言葉があるように、どのコミュニティにおいても、ある程度の露出頻度がなければ人脈は弱体化し、界隈は寂れてしまう。かと言って露出が多すぎたりリソースを割きすぎても疲れる人間が出てきたりする。自分を中心に置いて様々なレイヤーや友人関係、仕事関係を見た時にそれをどのように継続させていくかはかなり重要で、そこに力点を置いて運営していこうと考えている。それに必要なポイントとしてあるのが原風景の共有と新規性で、原風景があるから人は集まれるし、新規性があるから主体的になるチャンスが増えたりマンネリしなくなる。
まぁ概念的だけど、これをひとつひとつ形にしていくので見ていて欲しいところ。そしてその強化した界隈の人脈を使って先に言った自己実現のベースを作れたらな、と。

他にも思いついたら追記する可能性はあるが、いったん大きなところはこの程度だと思うのでここまでにしておく。

弱さとの戦いだった25歳後半を経て、いろいろなことを考えたり、いろいろな人と良くも悪くもコミュニケーションを積み重ねて今ここに立っている。その上で26歳は自分の強さをより信じて進む歳にするつもり。

最後に、2019の最後でも言ったが、周りの人間や過去の記憶に対する感謝は尽きない。その土台の上で自分は強くあれるので、これからもいろいろよろしくしてやってください。

鷲津

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