文章を書くということ
前回、初めての文章を書いたわけなんだけど、読み返すと自分が書いた言葉には思えない。
きっと2作目の今作は駄作なので、読んでない方がいたら是非、先にこちらを。
昨日のことなのに、どんなテンションでどんなノリで書き始めたのかも記憶に残ってはいないし、途中から頭がパンクし、失速した後に書くのを諦めたってことはわかる。
自分が書いたモノとは思えなくても、なんとなく自分のダメな部分がわかってしまうのは皮肉な感じ。
でもきっとダメでも無くて、あの時に文章を吐き出し切ってしまったら今こうやって筆を持つ(タイピングかちゃかちゃ)こともなかっただろうし、結果オーライってことだろう。
「自分の更新の話」の続きを書かなければ!と思っていたんだけど、あのnoteを公開したら予想以上に色んな人から反応をもらったので、そのことを書くために今ベットから重い身体(84kg)を起こした。色んな人っていうのは、10年近く会ってない人もいれば、先週会った人、よく知らないけどなんとなく好きだなと思う人とか、本当によく知らない人からも。
何が言いたいのかというと、
めちゃくちゃ嬉しい!!
そう、本当に嬉しいんですよ。自分の考えを長く文章にすることってわりかし恥ずかしいし、それを読んでくれと言わんばかりにsnsに投稿するのもハードル高いのよ、本当に。僕はInstagramの投稿をするときに、面白いこと書いてやろうとかなんだとか色々考えて、結局おもしろくない一言と適当な意味のないハッシュタグを付けちゃうタイプの人だったし。
多分そんなセンスが無くておもしろくも無い僕っていうのは、自分の変化を周りに悟られるのが怖くて、更新されていない昔の自分を装っている最悪な僕だったと思う。そっちの方が安全だから。
この気持ちすらも、旧自分の話だから覚えてもいないし、もしかしたら短い一言でインスタ映えしてる俺かっこいいとか思ってただけなのかもしれない。本当に別人のことのように都合良く覚えていない。
昔の旧自分のことを忘れ、新しい新自分に更新していき、それを周囲に認めろということについて、旧自分から逃げているだけの都合の良い持論のような気もしている。いつかこれについても書こうと思う。
話は戻り、、
常に挑戦してみたいことだったり、もっとこうなりたいという像を持ち続ける精神を全ての若者は持っていると思う。(おじさんになったことがないので、ここでは若者と書いた)
「挑戦」とか「なりたい像」とか表現すると、前向きすぎてキモいなと感じると思うけど、それは世間が思うポジティブなことである必要は全くない。
というか「世間が思うポジティブなこと」とかいうワードが最悪だ。
ただシンプルに自分がこうしたいという気持ちの話をしている。
自分で文章を書いて自分でツッコむ物書きスタイルをしていると一向に本題が進まない。
結局、結局、今日は何を伝えたくて文章を書き始めたのかというと
文章で自分を表現してみてほしい
普段、何気なくする自分の思考の表現って99%が誰かとの会話だと思う。
会話って、相手がいて成り立つものであって、無意識に相手に合わせた自己表現しかできないものだ。
よく言われることだけど、どんな相手と過ごすか、どんなコミュニティの中で生活するかで全く違う自分の一面が表現される。それぞれが違う自分だけれども、それぞれが間違いなく本当の自分である。
それぞれの自分に好き・嫌いがあって、だからこそ、この人といる時の自分は好きだな、この人たちといると少し心が苦しいな、とか感じる。
それらを全てひっくるめた、本当の自分を表現できるのが文章を書くことだと思う。
今僕は、誰かを思い浮かべて表現しているとは思わないし、自分に向けて表現しているのかと言われても、そうでもない。
ただ、生きていく中で存在する無数の自分を整理して、なんとなく自己を保つために表現しているのかなと思う。
今は7月末。4月から始まった新生活の波に飲まれ、なんだか気候は熱いし蒸しているし、息苦しく生活している人も多いんじゃないかな。僕もそんな1人だし。
そんな、昨日初めて文章を書いた素人が思ったこと。
文章で自分を表現してみてほしい
ここまで読んだあなたは、きっと既に、心のどこかで文章を書いてみようかなと思っているはず。違ってたらごめんなさい。
今日は前回より長く書けた。嬉しい。明日までの期末課題を知らない振りをしているのはナイショの話。
読んでくれてありがとうございます。いいねしてくれたら本当に嬉しいです。
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