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鬱の記録『ふとした時、全てが虚しくなる。それでも、愛してる。』

ふとした時、そう思うんだ。

今日は、憂鬱解消のため一日外出して、人と関わり、タスクもこなして、最高に頑張った日だった。

たくさん歩いて、量少ないのに値段がそこそこ高いご飯を食べて、普通の話をして喋りながら、買い物をして、自分の欲しい物を言う努力をしてみたり、相手の話をうんうんと笑顔で聞いた。常に歯を剥き出しにして、笑っていた。つまんなくても、楽しいふりして自然な笑顔でいた。

いろんな人が乗ってる電車に入って、
いつも通り車両に乗る人々の観察をした。

この人は推定何歳で、どういう職で、どういう家族がいて、どういう人生を歩んでいるのか、今日はなんで電車に乗ってるのか、どこへ向かうのか、この人の性格や心情は、全てを想像する。昔から、常にそれはしてきた。

毎日が、人間観察であり、その日記を頭でつけているようなもの。

しかし、その想像は一生答え合わせできない。

だって、あの人たちにとって、私は日常背景でしかないし、通行人Aだ。

今隣に座ってるキャリーケースを股に挟んでる男の人だったり、脇にいるちょびちょびお菓子を取り出して食べてる若者だったり、

向かいにいる可愛いネイルをして着飾っている美人さんだったり、端っこにいる登山みたいな格好をしているおじさん、窓を見たりキョロキョロしているおばさん、

ここにいる全員が、生きてて、人生があって、

そして、私とは無関係なんだ。

これらの人生は電車の中で激しく交差しているように見えて、
全く交わっていない。

私たちの人生は、駅の中で激しく絡み合ってるように見えて、
全く持って、交わらない。

虚しいほどに、他人であり、部外者で、所詮みんながみんな、
関係ない人生背景として落とし込まれていく。

でももしかしたらね、将来。

この電車に乗っている誰かと、私はまた街の中ですれ違ったり、出会ったり、深い仲になってるかもしれない。

それも、想定できること。
人間は生きている限り、どっちもあり得てしまうこと。

『もしかしたら』と考えたら、

今日街の中ですれ違った、他人は、いつしか、
未来で、私の親になるかもしれないし、夫妻、恋人、友人、親友、子供にもなるかもしれない。

私が死ぬ時に、その死を鑑定する医者と、その時看取ってくれる人と、葬式に来てくれる大事な人間たちと、今、この瞬間、この街ですれ違っているかもしれない。

逆に今日。
今日まですれ違ったたくさんの人々、関わったすべての人々は、
一生私とは交わらず、ただの背景として、通り過ぎていく関係にあったのかもしれない。

私は、ここにいるみんなにとっての全くの部外者で、その人生に何も与えられないのかもしれない。

一生、誰とも交わらず、誰の人生にも入らず、何者にもならず、ただの背景として永遠に孤独のまま死ぬかもしれない。

人間の間で、勝手に『友達』だとか、『恋人』だとか、『結婚』だとか、言葉で定義づけてるだけで。一生誰かの『何か』になるなんて、できっこないこと。

どれだけ分かり合えて、幸せになっても、みんな死ぬこと。

いつか絶対に消えること。

どっちもあり得ること。
今まで、ずっとそこで会ってきたこと。

この世は、この人生は、大きなドミノ倒しみたいなもので、
誰か1人が、これまでの人生の小さな要素1つでも、かけていたら、

この体は一生動かなかったかもしれないし、
逆に崩れて、この人生全てが壊れたかもしれないし、

少しの勇気で周囲の人、すべての人生がどんどんと、幸せになったり、不幸になったりしれない。

どっちもあり得て。

私という人間が、誰かの人生のドミノになることで、その全てが、一瞬でガタガタガタと移り変わるかもしれない。

その人の人生というドミノが、大きく変化することで、それが『何』になるのか、繋がるかなんて、ドミノが倒れる瞬間までわからない。

ドミノが崩れるのを見て、視覚的に楽しむ人もいれば、今までの苦労が一瞬で壊れて、絶望する人もいる。

いつどこで、他の手によって止められたり、倒されたり、新たなドミノを追加されたり、盗まれたり、全て掻っ攫われるなんて、わからない。

人生とは常に、どちらにも舵を切り得るもので。

そんな人生なのに、ここにいるみんなは、生まれながらにして、
それを当たり前のように受け入れていて。

人生を進んでいくたびに、価値観が変わって、それをしっかり抱えたり、振り回したり、捨てようとしたりね。

人間というものは時に石のように堅実で、時に雲のように自由で、ハリケーンのように自分勝手だ。

変わらず安定しようとする性質と、
変わり続けて新たな世界を追求する性質。

両方あるから、人間はここまで来れた。

常に想定もできない偶然を抱えながら、生きている人間。
未知の幸せと恐怖、自由と不自由、好きと嫌い。
どっちも常に持っていること。

相反する性質を一つの器に持ち合わせているのが人間。

それに変わりはないこと。

ほとんどの人々が、それを自覚せず、自分の中の普通を生きているのは、
たまたま、“そっち”に行ったから。

ドミノが左に倒れるか、右に倒れるか、の違いでしかない。
私とみんなは、全く違う人間に見えて、全く同じなんだ。

みんなが、みんなもう1人の『あり得た自分』かもしれないこと。

私は、あの人たちだったかもしれないし、あの人たちも、私だったかもしれない。

人生なんて、たった一つの見方の違いでしかない。

その一つの味方の見方が、人生と共に増えてくことで、それぞれの持つ重要度だとか、意味だとか、大切さが変わるだけ。価値観や思考が違うだけ。

元を辿れば、みんなが、みんな同じだ。
みんながみんなあり得ること。

ドミノという、細胞が、体が、子供の時の発言が、親の言動が、学校が、会社が、友達が、お出かけ先が、お金が、電車が、病気が、服が、
今日食べた朝ご飯が、今日行ったお店が、そこにいた店員が、駅が、通行人が、パンが、ご飯が、美味しいいちごケーキが、味噌汁が、ウェットティッシュが、鉛筆が、スマホが、パソコンが、文字が、電光掲示板が、時計が、テレビが、天変地異が、地球が、

一つでも違えば、どうなってるだろう。

今、どうなってただろう。

私が一つ違う車両に乗っていたら、
たった一人の人間のせいで、
もっと落ち込んで死にたくなってたら、もっと幸せになってたら、
今の親が親じゃなかったら、友達が友達じゃなかったら、
自分が自分じゃなかったら、

一つの思いで、あの時全く違う選択をしていたら。
その積み重なりで、自分は、みんなは死んでたかもしれないし、
自分は幸にも不幸にもなっていた。

このようなことをバタフライエフェクトとよく言う。
もしかしたら、小さな蝶がその人にとっては、世界にとっては、大きな人生の出来事を引き起こしていたかもしれない。

だからと言って、全ての変化が怖くなって、閉じこもったり、一つのものに執着しても、人間が生きてる限り、結局他人に干渉されるのだ。
みんながみんな、バタフライエフェクトの重要な要因一つ一つである。

宇宙船地球号ともよくいうが、地球が宇宙船なら、人間一つ一つはその重要なパーツ一つ一つであり、ネジ一本よりも船の心臓エンジン一つの方が大事。とかじゃないんだ。全部揃って動いて、エンジンも舵も、ネジも木版も、ナットも釘も、鉄網も救命ボートも、全部丁重に扱われないと、揃わないと、船の意味がないのだ。

私たちの自覚もないうちに、どんどん音も立てずに、
この世界が大きく大きく変わっている。今も。

ドミノを持っているもの同士で、関わると、どんなことだって、風の息だって、その人の一部を大きく揺るがしている。ドミノは一つ変わるだけで、全てが一気に変わっていくのだ。

ドミノは、心の水面を揺らして、波紋として干渉しあって、芯にある思考や価値観までも、大きく揺るがしていく。

みんな、その自覚がないだけ。

みんな、本当は根本に持ってるもの。
それは死ぬまで、ずうっと同じだってこと。
死ぬまでみんなそれを持って、生きているってこと。

それを考えると、今まで出会ってきた人々、そしてそれらの人生。
それから、これから何度も、出会うであろう人々、その人生。

その両方が、偶然の連鎖であり、当たり前なんかではないって、
事実に気づく。

そんなの普通だろって、みんなね、当たり前のことだと思って、
今日ここで、乗り降りしたり、買い物してるんだろうけど、

私はその事実に、ふと気づいた時、どうしようもなくて。

クソ虚しくて、悲しくて、嬉しくて、感謝したくなって、謝りたくなって、
人間が大好きで、大嫌いで、もっと生きてたい、ああ、消えたいって、
死にたいって、苦しいって、何も考えたくないって、

今この瞬間を生きなきゃって、でも未来と過去のこと、ずっと考えたくなって、自分のために生きたい、好き勝手したいと思って、でもみんなのことが大好きで、人間のためになりたくて、誰かのためになりたくて、

とにかく、死にたくない。って。思った。

絶対死にたくない。
人間っていつかね、今、終わるかもしれないし。
明日、もしかしたら、何十年後、何百年後、終わるかもしれない。

そもそも私が生まれたのも、ただの偶然で。
みんながいて、こうなってんのも、全部全部。

私の過去は、全部偶然によって、作られた産物でしかなくて。
運命なんかじゃないってね。わかってるよ。

私と同じ人なんて、同じことができる人、この世にたっくさんいてさ。
好きな人も、嫌いな人も、同じような人がたくさんいて、その好きも『特別』なんかじゃなくて、

ありふれたもので。私じゃなくても、みんなじゃなくても、できたことなんだって。

代わりはたくさんいるって。

もっと優れて、優しくて、完璧な人がいるって。
可能性をあげればキリがないけどね。

私と出会わなくても、みんなは幸せになってたかもしれないし。
みんなが私に会わなくても、私は勝手に幸せになっていくかもしれないし。

でも同じ人なんて1人もいなくて、
だからこそ誰とも分かり合えなくて、

今いる大切な人間よりも大切なものなんて、一生現れないかもしれないし、本当にその人間が最高だったという可能性もあり得て。

その逆の可能性も、常に存在していて。

存在意義なんて、愛する意味なんて、

どこにでもあるようで、ないものなんだよね。

私はまだドミノの最中でさ。死んで、ドミノの全貌を見てないから、わからんのだけど。

この人生に意味があるか、ないか。

私が幸せになることで何になるのか、ならないのか。
生きてることで、いつ幸せになるのか、不幸になるのか。

生きることで、誰かを幸せにしているのか、不幸にしているのか。

人間として、生きる価値があるのか、ないのか。
私なんかが、人間を愛していいのか、愛されていいのか。

生きていいと思い込んでいいのか、思わなくてもいいのか。

誰かのためになれたのか、なれていないのか。

そのどちらに、傾くか、なんて、その時の自分とドミノにしかわからない。

それをわかって、生きてんだけどね。

でも、他人と社会と普通の渦に飲まれた日、こうやって夜。
今日のこと、人生のこと、死ぬこと。ふと考えるとね。

今日みたいにね。普通に生きて。

人と会って、しゃべて、普通に買い物して、

美味しいご飯を美味しいと言って、食べて、
身内話や、世間話、つまんない話もたくさんして、
何のためにもならない、ただ会って、久しぶりっていうだけで、

ただ生きてるだけなのに、

私と会ってくれるみんなは、
楽しいねとか、優しいねとか、また会おうねとか。

頑張ったねとか、すごいねとか、よかったねとか。

私は何もしてないのにさあ。

次会うのはいつにしようか。とかさ。
当たり前みたいに言っててさ。

私が好き勝手に生きてても、何も変わらず、当たり前みたいな顔して、
ご飯うまいだとか、これが可愛いだとか、かっこいいだとか、
こんなことがあったんだ、楽しい、疲れた、嬉しい、ってさ。

何でこんなにも。
こんなにもさ。

世界は、単純に回っているの。

いつどっちに傾くかもわからない。
いつ消えるかも、生まれるかも、わからない。

僕とみんなの、ここにある全ての関係は、偶然の連続でしかない。
無かったことなのかもしれないのに。

なんでそんなに、当たり前に笑ってさ、僕によくしてくれるの。

なんで身勝手に好きでいてくれるの。嫌いになってくれるの。

ほんっとうに、自分勝手すぎ。

わっかんないよ。

最高に悲しくて、嬉しくて、くるっしいんだよ。

僕がこうやって、1人、で、ぐるぐる考えて、勝手に虚しくなってんのも、

みんなみんな知らないくせに、一生わかってくれないくせに、

みんな、何も問わず、聞かず、ただそこにいて、
真理に目も向けず、自覚もせず、

ただ生きて、今日も生きて、会って、

みんなが人間と会って、その人間がまた人間と会って、人間と人間が干渉し続けて。

苦にもラクにもなって。

僕が意味もなく、病んで、苦しんで、過去に悶えても、
僕の体は生きようと必死に動いて、

今日みたいに、みんなと『普通の一日』を過ごせた。

楽しかった。

そして、明日も明後日も、なぜか、生きてるって保証されてる。

だって。

みんなと、今度会う約束もしたし、何がしたいって、どこへ行きたいねって、人間と話したから。

ここは、それが当たり前の世界だから。

あたりまえの顔して、またね、また明日とか、また来月会おうとか、また夏ごろに会おうとか、来年もよろしくとか、そんなこと。
繰り返される月日の中で、あたりまえのように言ってるじゃん。

あたりまえじゃないのに。すぐ消えるかもしれないし、すぐ変わるかもしれないのに。

一瞬、それを受け入れてさ。

今日、自分の将来のことを考えて。

私は、これからも普通に働いて、普通に恋人ができて、どっかで同居して、親が死にそうになったら親を看取って、その後自由になって、好きな人間たちと分かり合えてることが、愛し合うことが普通になって、死んでいくんだって。

想像したら。

あれ、なんでさ。
『想像できたんだ』って。

そう……….思って。

いや。今までさ、こんなこと、

想像したことがなかったから。

想像すらできなかった。でも、今できてるってことは、

少しは、少しは、みんなと同じになってるかなって。

あれ、私って、普通に、普通を想定して、普通の幸せを手に入れている未来を、想像できて、みんなと喋れてるって…

捨てられるとか、消えるとか、固執しなくなって、
『どうせニンゲンは。』っていう可能性を考えなくなって、
今までの人たちへの贖罪とか感謝も、全く考えずに、

ただただ。自分本位に、自分が生きたい未来を想像していて。

いつの間に。
こんなに安易に未来を想像して、幸せになるんだという傲慢さも、自覚せずに、楽しく生きようとしたんだって。

今日、帰って、1人になった時。
今日すべきこと全てを終えて、ベッドに入った時。

そう思って。

何も考えず、勝手にさ、

『まあ、私のことだから、勝手に未来で、幸せになってんだろ、こんな世界なら、みんなはみんなで勝手に幸せになってくし、私も私で幸せになってく。これから、出会う全ての人間に存在する全ての可能性、それに期待しようぜ。そして、今までの全てにも感謝しような』

って。そう思っちゃっていて。

いやそう思えてね。

ああ、なんだ、自分ってやっと今になって、
こんな。

こんな考え方ができる、みんなと同じ人間になってたんだって。

それが当たり前ってことを、一瞬でも受け入れられた自分に、
酷く安堵して。でも同時にすごく悲しくなって。

過去の出会った全ての人に対しての、大きな感謝と重い謝罪が、沸々と湧いてきた。

でもね、今それに気づいた。
幸せが、それを大きく上回って、込み上げてきて。

ああ、幸せなんだって。

自分は、普通だった。普通になれた。

当たり前が、当たり前だって、言えるようになって。

みんなの当たり前の日々が、やっと自分にも来て。

身勝手に、明日を信じて、

誰かじゃなきゃ、自分じゃなきゃ、この生き方じゃ、こんな考え方じゃダメだって思わなくなって、

今日幸せならいいやって、明日絶対、みんなは、幸せになるんだって、
私は幸せになるって、

根拠もなしに、私は今あなたたちを信じてるから。

そんでね。このまま勢いに任せて、
身勝手な信頼でこの口を滑らすなら、

私は、本当に、生まれてきてよかったって。
みんなと会えて、よかったって。
大好きでたまらないって。

今まで出会ってきた全員のことが、
人間のことが、本当は好きで好きでたまらないって。

今まで死ぬほど、苦しい思いしてきて、死にたい、
生まれてきた価値ないとか、他人と関わるたび、

自己嫌悪に苛まれて、全てを傷つけて生きてきたけど、

人間のこと大っ嫌いで、人間なんて、この世なんて、

『なくても変わらねえよ』『意味ねー』って今も思ってるけど、

それでも、純粋な明日を信じて生きているあなたたちに、関われて生きてることが、幸せでたまらない。

本当は、大好きで大好きで大好きだ。

自分も、みんなも。
人間なんて。みんな、意味ないよ。何もできない。
所詮ちっぽけなゴミだって、

ずーっとずうっと、そうやって考えて
今ここで生きている人間のことも、

見向きもせず、自分の世界しか見えてない、

そんなあなたたちのことが、
大好きだよ。

ほんとうに皮肉よ。

自分の世界の中で、身勝手に相手のことを信じて、何の可能性も考えず、

今を生きて、好きだとか、可愛いだとか、かっこいいだとか、楽しいだとか、悲しいだとか、明日も会おうだとか、言えてるみんなが、

好きだよ。好きだよ。本当に、もう、いなくならないで。

年を取らずに、永遠にこの世にいて、みんなが幸せに生きてほしいって。一生死なないでよって。

本当はそう思ってるんだよ。叶うわけねーけど。非現実的だけど。

ずっと幸せに生きてよ。そんなみんなのことが好きだから。

もう死なないでよ。苦しまないでよ。

これ書いてて、なぜか涙が止まらなくなって、

ボッロボロに涙が垂れてくる。

それほど、私は、普通に普通を生きて、幸せになろうと確信して、生きてるみんなのことが大好き。

人間のことは大っ嫌いだけど、あなたたちのことは嫌いだけど、
みんなことは大好きなんだよ。

結局。好きで好きでしょうがねえんだよ。

私たちが、一歩踏み出して、何かを摘み取って、
この命を生きているうちは、

どこかの誰かの尊厳を無視して、踏み躙って、その尊い可能性の花たちを潰していることに変わりはないんだけどね、

常にドミノで、どちらに傾くか、一瞬で全てが溶けて、なくなるかの世界を生きててさ。

人間なんてものには分かりきれないほど、分かり合えないほど、この世界は複雑なんだけどね。

それでもね。
今は、私はただ、ただね、それをわかってても。

みんなのことが好きだし、幸せになってほしい。
私じゃなくてもいい、何でもいい、誰でもいい、いつでもいい、どこでもいい。

この世のどこかで、
絶対自分の幸せを見つけて、幸せになって、楽しく生きてほしい。

それで、その影響で、私が、他の人々が幸せになっても、不幸になっても、なんでもいい。

だって好きだから。

涙が出るほど愛してる。

みんなのこと大好きだから。幸せになってよ。

なれよ。

私もやっと幸せを。普通の幸せを望んで、生きれるようになったよ。
まだ一瞬しか、そう望んだことしかなくて、あまり変わってないかもしれないけど。

自分の好きなことだけして、たまにだらけて、人間関係めんどくさくなって、疲れたり、大変なこともあるけど、

それでも、なぜか、自分は将来、明日か数十年後かも、一生かもわからないけど、絶対私は幸せになってるって、望んで期待してる。

金も、気持ち悪さも、気持ち良さも、愛も、恋も、好きも、嫌いも、仕事も、身分も、保証も、戸籍も、書類も、全部全部、

本当は、どーでもええよ。

幸せなら、なんでもいいよ。

みんなが生きてるだけで、いいよ。
幸せならもっと最高だよ。

そんだけだよ。

ただ、私はこの世にいる全ての可能性を持っている人たちの、
幸せを願ってる。

誰が特別だとか、誰が最低だとか、そんなんじゃない。
みんながみんな、生きてるだけでよくって、幸せになってほしくて。
みんなと同じくらい自分のことも、幸せになってほしいって思ってて。

今は、そんな私も、私が幸せにしてやりたいって。

傲慢だけどさ、

普通に毎日、安くてうまい飯食って、たまに高いうまい飯食って、
たまあに旅行行って、海外も行って、好きなことも程々にして、友達と恋人と普通に楽しい一日を過ごして、毎日おはようって言って、誰かと今日あったこと話して、疲れたーって言って、ハグして、泣いて、疲れて、寝て。また、普通の一日を繰り返して。

いつの日か。

こんな夜もあったのだと。こんな文章を書いてたんだって。
今まであったこと、たくさんの人と会ってきたこと。

みんなへの想い、好きなことも嫌いなことも。全部、全部。

暗い部屋で、最高の笑顔で、過去を語ってる、明るい未来を。

今ね
想像してしまった。

想像できた。

幸せだ。

幸せだ、っよ。幸せだよ。

今、本当に幸せだよ。

わかるか?この幸せ?わからないよな。

そう、わからないよなぁ。

そう…….だよなぁ。


うん。


そうだよね。








うん。

一生、みんなとは分かり合えない。








だけど。愛してる。







私が、一生ね、全員のこと愛して、救って、叶えることなんて、
できっこないってわかってるよ。

みんな、がみんな。自分もさ。

必ず何かしらで、救われてって、

本質的には誰でもよくて、いつ命と人が、人生がなくなるなんかも、
わからないって、知ってるよ。

でもさ、でもさ、

でもさ

好きなんだよ。
大好きなんだよ。

何にもできないんだけど。

ずうっとみんなのことが好きで、死ぬまで愛してて、私にはできなくても、みんなと生きてくことで、みんなが幸せになってくって、信じてたいから。

自分だけになって、1人になってしまえば、誰のことも、自分のことも、
みんなのことも、幸せにできなくなっちゃうから。

意味なくても、分かり合えなくても、もう一生手に入らなくても、
どこへ行ってしまっても、いなくなっても、死んでも、いいから。

いいからさ。

ずっとずっと、私は私が生きている限り、あなたたちのことを愛してたい。

愛してたい。だから。

私は未来を無意味に信じて、明日も生きると思って、

私は、将来、絶対に。幸せになってるって。

生きる価値があって、愛されるべきで、愛するべきで、
私は私の思うように生きていいって。

思ったからさ。

だからさ。

身勝手になって今。

約束するよ。

私は、絶対、どこかで幸せになってるから。

みんなも、幸せになってよ。もうなってるかもしれないけど。
もっと、もっと、もっと。幸せになってよ。

好きだから。

ねえ。明日も生きて、普通に日々を生きて、ああ、これから自分は自分の望むような未来を生きてけるんだなって、無意味に身勝手に、信じるだけでもいいから。

どうなってもいいから。

ぶっ壊れても、奪われても、捨てられても、積み上げられても、綺麗にしても。

もうなんでもいいから。

あなたの幸せを生きて。生きて。生きて。

生きててよ。

今日みたいに、1人にならないで、外に出て頑張るたび、思うんだよ。

私はみんなのことが好きなんだって。
やっぱり、好きだよ。

そもそも毎日、人間観察してるような人間が、人間のこと嫌いだなんて言い切れないもんな。

こんなクソッタレの世界。生きてられるかよって、思うかもしれないけど。
毎日、毎日そう思って生きて、辛い現実もたくさんあるけど。

今はそう思うよ。

そう。

そう思うんだよね。

分かり合えるはずもないのに、こんな文章を受け入れてくれる、この大きなネットの波よ。ありがとう。

この世界、生きてる人間、全部。ネットや文字を、文化を築いた人間。
ありがとう。

きっしょいこと言うけど。身勝手になるけど。

私は一生。死ぬまでずっと。

愛してる。

最高に、生を愛してる。

愛してるぜええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎⤴︎

何この終わり方。最悪。

はは、今日も寝るか。

え、だって。


明日も生きてるって確信してるから。


今日も生きてた。



こんなきっしょい自分宛の手紙を朝から、読み直して、
こいつ感情に酔ってんなーって思って、こんなの自慰をネットで公開して、喜んでる人間と本質的には一緒だろーと思って、

また心の底に不安とか、嫉妬とか、憎悪とか、
やっぱ自分と人間が嫌いって、相反する感情が湧いてきて、

あー全部がめんどくせーって思うんだけど、
こういうことばっかしてきた自分が、嫌になるんだけど。

やっぱ生きたい。

だって、

こうやって、文字に残すことで、昔の自分が今の自分に、
『生きろ』と訴えてくるから。

クソほど嫌いな自分に、「生きろ」って言われたら、
逆張りして、生きてやるよって言い返したくなるわ。


生きてやるよ。