トガらせ欲バックグラウンド1:子ども時代「思いやり少なめコミュニケーション」への違和感
こんにちは。まいまいです。
今日から「なぜ、私は人をトガらせたいのか」について、連載をお届けしますね。
「人の強みをトガらせたい欲」バックグラウンド1つめは、子ども時代「思いやり少なめコミュニケーション」に感じた違和感です。
なんとなく人が言われたいこと、言われたくないことを雰囲気で感じとっていた私にとって、同級生の心ない言葉で傷つくクラスメイトの姿を目にすることは、とても辛かったです。
「そんな言い方しなくたって…」
と。
そのとき、ひらめきました。
いっそのこと、名札に「私はこれを言われたくないです。でも、このことは大好きなのでぜひ話したいです」って書いて、制服に安全ピンでとめたらどうだろう?
そんなふうに誰にでもわかるように、その子の「トガりポイント」を言語化したら、コミュニケーションミスも防げるのではと思っていました。
誰だって傷つきたくないし、本当は傷つけたくないはず。ただ小学生の私が誰に提案すればよいかなど、想像もつかないのでした。
「これが好き、あれは嫌い。そんな『トガり』をわかるように見せてあげれば、平和になるのに。どんなポイントで人と人がつながればよいか、わかりやすくなるもん。そうしたら、やさしい会話ができるようになる!」
って、思ってたんですね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
次回に続きます。
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