さよならユニットバス

人と話してたら面白い言葉が出てきたので書きました。
なんのシリーズでもありません。


さよならユニットバス


 ダンボール箱、三箱分。ここ数年分の私の荷物だった。ここで何年暮らしたんだろう。彼と付き合い始めて、何年だっけ。かけた年月を考えると虚しいほど甘くて、悲しいほど無意味な気がして数えるのをやめた。
 今日、私はこの部屋を出ていく。忌々しいユニットバスの、安いワンルームを。 
 同棲する部屋を内覧に行ったとき、彼が「ユニットバスはトイレと風呂の掃除が一度に出来て楽なんだよ。俺ずっとユニットバスだったし」と言ったからこの部屋になったんだっけな。実際、家賃も安かったし、彼が押し進めるままその部屋に住むことが決まっていった。不動産屋さんも、そもそも彼の話しか聞いていなかったらしい。ユニットバスは苦手だからバストイレ別がいいと私が伝えた要望はすべからく、彼の意見で塗りつぶされていった。そうして決まった部屋だった。しかし、彼が風呂やトイレの掃除をしたところは同棲を始めてから一度も見たことがない。ただの一度も。
 昔は、優しい恋人であろうと思った。将来は良き妻になろうと思った。少しばかり頼りないし不器用だし、デリカシーもあまりない人だけど、そこは私がカバーできればいいのだ。愛するってそういうことじゃないのかな。そんな清らかな夢をテレビのCMのように、いつも頭の中で自分に言い聞かせていた。
 でも、私にはそれができなかったのだ。
 スーパーで買えばもう少し安く買えるものを、コンビニで正規の値段で買ってきたのを見て、ため息をついた時に気付いた。気付いてしまった。つまらないことだ。そんなことくらいで。ちょっとくらいいいじゃないか。彼にとってはそうだけど、私にとっては「そのくらいのこと」ではないのだ。脱ぎっぱなしの靴下。飲みかけのペットボトル。ああ、それから一番は。知らない人のハンカチと、遅くなった帰宅時間。見渡せば、そこら中「そのくらいのこと」だらけで。周りの人は言う。仕方ないじゃない、男の人なんてそんなもんよ。うちの旦那だってね、と始まる愚痴とも惚気ともつかない自分の話。
 そうか、そんなことも私は許せないのか。そう気付いた時、私の中で何かがガラガラと音を立てて崩れていった。
 そこからは早かった。「別れよう」と言うと、あちらも「そうだな」とだけ答えた。きっと、面倒くさかったんだなと思う。すれ違いは多くなっていた。倦怠期というより、慣れというより、疲れていた。彼もきっと飽きていた。利害は一致した。私はこの部屋を出ていく。
 別れると決めてから、自分だけの部屋を探すのは楽しかった。彼の意見しか聞かなかった不動産屋も、私しかいなければ私の話を聞くしかない。決めたのは少し手狭なベランダ付きの、バストイレ別のワンルームだった。このダンボール三箱は、その部屋に運び込まれる。
 もう二度と、ユニットバス付きの部屋には住まない。今はちょっとまだ考えられないけど、もしまた誰かと住むときは「ユニットバスは嫌い」という言葉を聞いてくれるひとと一緒になろう。そうなれたらいいけど。
 もう帰らない部屋の鍵を捨てるように、郵便受けに入れる。そして、彼の名前だけの表札に呟いた。
 さよなら、ユニットバス。