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小濱明人尺八リサイタル@代々木上原 MUSICASA

クラシックや和楽器の奏者が年に一度催すリサイタルは、一種の研究発表という意味合いがあると思うし、そうであるべきだと思っている。その点で尺八奏者の小濱明人によるリサイタルは理想に近い出来映えだったと思う。昨年までは若手奏者である小濱が巨大な尺八世界の岸壁に立ち向かい、果敢に挑んでいく姿を見せられている印象だった。しかし今回は小濱の尺八を通して観ている側にいくつもの気づきがあるリサイタルだった。

前半は正倉院の時代から現代まで、長い尺八の歴史を4曲で辿るプログラムで一曲目は雅楽の楽器として扱われていた古典尺八。続いての曲は戦国時代に武将の間で流行したという一節切(ひとよぎり)による演奏だった。古典尺八が奏でたのは確かに雅楽的な旋律で、これが雅楽の舞台であったらどんな風になるのかが気になった。そしてここまでの音色はとても素朴なものとして響いていた。

三曲目は虚無僧が吹いた尺八。5つの孔をもつが、管の内部は自然のままの“地なし管”だが、ここから大きく世界が変わったことに聴衆は気が付いたはずだ。楽器の響きが明らかに変わり、膨らみがあって立体感を感じる音色に変化したのだ。さらにノイズ分や倍音成分も加わってよりドラマチックになっている。しかし続く四曲目で小濱の尺八はさらに変化を見せる。ここで使ったのは現代の尺八である地塗り管。楽器としての完成度が上がっている尺八だ。虚無僧が修行の一環として奏した3曲目から、4曲目の幕末〜明治期に活躍した神保政之輔が伝えた『産安』を比べると、歌心が数倍にも膨れあがり、祈りの旋律であるチャントから歌に進化する瞬間を魅せつけられた気がした。

後半は現代邦楽を2曲。1曲目、西村朗作曲の『(こう)』。時間軸の上で緊張と弛緩が繰り返される曲に邦楽のための現代曲が数多く作られた結構昔(1970年代とか)の作品という印象を持ったが、2000年の作品だというのは意外だった。

最後は今回の委嘱作品で世界初演となる「ぎんの音」。三味線の本條秀慈郎が参加しての演奏だった。本條は冒頭から弦をハジきつつ、サワリをいじって音色を変化させ続け、尺八も管の音色だけでなく息の音も混ぜつつそこに絡み合っていく。明らかに2種の邦楽器が発している音のはずなのに、そこからは広くアジアのイメージが流れ出してきた。まさに作曲者の思うつぼにはまったと言うべきだろうか。西洋的なハーモニーの感覚でいけば不協和音の一言で終えてしまうところだろうが、そういった浅薄な思考では理解できない世界が展開している。ギリギリの線で不調和にならずに絡んでいく小濱の尺八に、同様なアプローチを見せるオーネット・コールマンを思い出していた。さて次回はどんなリサイタルを見せてくれるのか。今から楽しみだ。

小濱(尺八)と本條(三味線)


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