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『ライカムで待っとく』@KAAT神奈川芸術劇場

 衛星放送の沖縄音楽チャンネル向け選曲の仕事をきっかけに、沖縄を気にするようになってからずいぶんになる。「音楽の背後には社会や時代が横たわっている」と思っているので、いつしか沖縄戦や基地問題などについて興味が深まり、機会がある度に関連本を読んだり、ニュースに目を通すなどしてきた。

 沖縄市生まれの劇作家・兼島拓也が、長塚圭史が芸術監督を務めるKAAT神奈川芸術劇場に書き下ろした『ライカムで待っとく』は、おそらく知らぬ間に沖縄通を気取っていた自分の頭をぶん殴るような衝撃を与えてくれた。

撮影:引地信彦

 物語は58年前に起きた沖縄人による米兵殺傷事件とその裁判を軸にしている。沖縄人に不利な陪審員が関わった裁判で被告に重罪が課されそうとなった中で、ひとりの沖縄人陪審員による説得で形勢は逆転。致死罪については無罪の評決に導いた話だ。それを知ったある雑誌記者(これが神奈川の雑誌社という設定がミソだ)が記事を書くうちに、いつのまにか物語に呑み込まれていく。

撮影:引地信彦

 兼島の脚本は、その殺傷事件をはじめ、解決のつかない基地問題ほか沖縄で起きる様々な問題を、あくまでも「こっち側の物語」として描き出し、自分を含め「沖縄人ではないそっち側」の役立たずな干渉(それは感傷でもある)を断ち切っていると理解したのだがどうだろう。現状に離れた場所から声を挙げる自分のような「そっち側」に、「こっち側」は抗いきれないことは仕方が無いことだとし、被告となった沖縄人青年が発する「決まりだから」という台詞に象徴させる。

撮影:引地信彦

 さらに、兼島はこうした状況を示すのに「バックヤード」という言葉を使った。店舗裏側で在庫をおいたり、作業をしたりする「バックヤード」は外側からは見えない場所であり、沖縄もまた今だに日本のバックヤードだと言う。確かに世界中で「戦争」の現実味が高まる昨今。台湾有事ともなれば沖縄は矢面に立つ。そんな時、日本は沖縄をバックヤードとして扱うだろう、ということだ。

 こうした台詞の一言一言を「そっち側」の自分はドキッとし、ゾッとしながら受け止め、これからも沖縄の諸問題に関心を持つことが正しいのかどうかを自問自答している。しかしおそらくそれらに対する好奇心は収まることはなく、作品の軸となったノンフィクション(伊佐千尋「逆転」)をどこかで探して読むことだろう。こうした見つめ直しを促したという意味で『ライカムで待っとく』は自分の記憶に残ることだろう。沖縄復帰50周年という節目を越してもKAATの、もしくは演劇界のレパートリーとして再演を願いたい作品だと思った。(12月1日マチネ/作:兼島拓也 演出:田中麻衣子)

撮影:引地信彦


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