舞台『シャボン玉の欠片を眺めて』TOKYOハンバーグ合同企画Vol.5+グランツ@下北沢・駅前劇場

このところなるべく足を運ぶようにしているTOKYOハンバーグ。主宰であり座付作家の大西弘記は、現代社会のすき間に潜り込んでしまいそうな。それでいて決して無視できない事柄をゆっくり掘り起こして物語へと紡ぎ上げる。孤独死、不妊治療、里親・養子縁組、孤独死等々、エキセントリックに採り上げることもできる話題を、あくまでもゆっくり触り、見つめ直す。ここしばらく数作品を拝見した結果、そんな印象にまとまりつつある。

今回の作品。舞台となるのは夫を亡くした老いた母親が独居する一軒家。窓の外には土手が見えるようだ。この母親と、それを取り巻く家族。そして老母のペースに巻き込まれていくハウスクリーニング業者が織りなす物語。

TOKYOハンバーグの舞台美術はシンプルな線や図形による抽象的なオブジェクトが多いのだけど、それでも話が進むにつれてその線や図形が間取りを表したり、心の距離感を示したりと、思いのほか能動的に動く。しかし今回は岩山のような(これは筆者の主観なので、そう観ていない人もいるだろう)オブジェクトは能動的に動くことなく、いつも以上に「そこにあるだけの存在」に徹している。不思議なのは、そんなオブジェクトが老母の暮らす家のリビングやハウスクリーニング業者のオフィスの風景を脳内に投影していることだった。

もっともそれは役者陣の演技が見せる幻影なのかもしれない。特に老いた母を演じる矢野陽子の演技と存在感は圧巻だった。大西はこれまでにも、例えば山本亘などのベテランを起用してきたのだけど、役柄の年齢から考えての必然という理由だけでなく、絶妙な起用を見せて感心させる。今回もまさにそれが光ったといえるだろう。矢野の周りには彼女が暮らす一軒家の風景が浮かび上がり、まるで映画の1シーンを観ているかのような錯覚さえ憶えた。

そんなことを思いつつ観劇した末に行き着くのが、本作を含めて数作品はもっと大きな劇場で観てみたいことと、もっと注目されるべき劇作家だと言うこと。その想いを信じて追いかけていきたい。(3月3日 マチネ)



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