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Q.カタカナの文字をわざとひらがなで書く人どう思う?

A.ベンチャー企業のチャラい若社長が使う意味不明な横文字の単語を、あえて平凡な表現に置き換えて聴衆に解説するのは一種の教養ですけど、英語やカタカナの単語をひらがなで書くメリットが何なのかは私には分かりません。

唯一メリットがあるとしたら、可愛さと親しみやすさかもしれません(「ひらがなフォント」という物もありますし)。

たとえば「シンギュラリティ(Singularity)」という単語があります。

漢字で表すと「技術的特異点」、これは科学思想家レイ・カーツワイルが2005年に唱えた「技術的に成長するAI(人工知能)が人間の知能を超える分岐点」という意味です。

「指数関数的成長(とにかくエグい速さで成長)するAIは、おそらく2045年頃に人間の知能を越えるだろう(いわゆる『2045年問題』)」と予測していて、「特異点に到達すれば、私たち生物的な脳と身体が抱える限界を超えることが可能になって、今の私たちには想像できない“運命を超えた力”を手に入れる」とカーツワイルは述べています。

……いかがでしょう。

ここまで単語と説明に可愛さや親しみやすさはありましたか?

おそらく無いでしょう(私も無いと思ってます)。

今度は「ひらがな」で書いてみます。

《しんぎゅらりてぃ》

あっ! ほら見て、もう可愛い! 全体的に丸っこいイメージですね(まだ単語の意味は分かんないけど)。

このように人間が未知の物に初めて触れる際、一定量の「親しみやすさ」が求められます。

もちろん100%すべてを鮮明に説明してしまうと人間は興味を示さなくなるので、わざと全体の1,2割ほど不鮮明な状態で説明する「置きの美学」もありますよ(小説や落語など文芸で使われる手法ですね)。

だけど、その単語や文字の印象が不鮮明100%だと、やはり人間は「それについて知ろう」という気持ちにはなりません。

 ①《シンギュラリティ》
 ②文字の第一印象からして固くて難しい
 ③全体の90%を鮮明にしたい
 ④まず最初に誰でも読めるようにしよう
 ⑤どうせなら可愛い印象を与えよう
 ⑥《しんぎゅらりてぃ》
 ⑦かーわーいーいー!!!

まあ、こんな感じですかね(知らん)。

だけど、何もかもひらがなにすることには大きすぎるデメリットがあります。

それが日本語における「名詞」と「動詞・副詞・品詞・接続詞」の非差別化です。

たとえば英語だとアルファベットの2文字以上の組み合わせて初めて「単語」として機能され、アルファベット1文字では何も意味はありません。

一方、日本語は1文字で意味と機能します。

Twitterで「あ」とツイートしたら、フォロワーは「何か思い出したのかな?」と筆者の驚いている様子を想像します。

また「(古い映画の感想で)きっとリメイクされるだろう」という文章を読む際、私たちは「きっと(副詞)・リメイク(英単語のカタカナ表記)・され(受動態)・る(動詞)・だろう(品詞)」と、無意識に分解して読んでいます。

これを全部ひらがなで書くと、どうでしょう。

「きっとりめいくされるだろう」

先ほどみたいな文法の分岐点が分からなくて読みにくいし、声を出して読むときも大変難しくなります。

例題に、声に出して読みたい「宮沢賢治の詩」を読んでみましょう。

【永訣の朝】

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてきてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜(じゆんさい)もやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)

※『春と修羅 第一集』より一部引用

(普段ひらがな使いの人って上文の詩をストレートに読めるのかな…?)

ちなみに、この詩は宮沢賢治の妹とし子が24歳で亡くなる日の朝、病室にて妹との大切な思い出を振り返る、別れの手紙として書かれた詩です。

現代語訳で読み直してみましょう

今日のうちに
遠くへ行ってしまう私の妹よ
みぞれが降って表は変に明るいのだ
   (あめゆきをとってよ兄ちゃん)
薄明るく一層に陰惨な雲から
みぞれがびちょびちょ降ってくる
   (あめゆきをとってよ兄ちゃん)
青いじゅんさいの模様の付いた
これら二つのお椀に
お前が食べる雨雪を取ろうとして
私は曲がった鉄砲玉のように
そのくらいみぞれのなかに飛び出した
   (あめゆきをとってよ兄ちゃん)

読みやすい程度に変換された文体で読むと、宮沢賢治の千切れそうな悲痛が伝わってきますね…(詩の全文はネットで無料公開されているので、ぜひ読んでみてください)。

だからといって、何でもかんでも漢字・カタカナすれば読みやすいかというと、そうでもありません。

先ほどの現代語訳で言えば、「あめゆき」をひらがなのままにすることで幼い妹の口調を読者にイメージさせ、ほとんどの人が読めない「蓴菜」を「じゅんさい」とふりがなの方にし、反対に漢字の「霙」ではなく原文の「みぞれ」をそのまま採用させていただきました。

このように読みやすい文章の中には「あえてひらがなにする」工夫というのがあるのですが、「カタカナ文字を不必要なひらがな変換する」工夫の意味は何なのかと聞かれると、現段階の私には微塵も推測できません。

もしかしたら、その「不必要さ」が生む違和感が読者の目を引きつけるのかもしれません。

例.「はっぴいえんど」「いきものががり」「ゆず」「かまいたち」など

ここまで読んで分かる通り、この記事ではひらがな変換の正体は解明されません。

この世の全ての謎が解明されるわけではないように、「少し分からない」とあえて残しておくことも「置きの美学」という大人の嗜みです。

(※ひらがな変換する行為が大人の嗜みという意味ではないので悪しからず)

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