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#108 充実した人生とは

子育てを考えると、その先に人の充実した人生とは何だろう?
との思いに至った。

自分は男女二人の子どもに恵まれ、その子らも成人・独立しそれぞれの人生を己の力で生きている。
巣立ってしまった今となっては、子育てという楽しい日々は思い出になった。平均寿命として、あと二十年くらい生きていかなければならないかもしれないのに。充実させる材料を何にすべきか、未だ決めかねている。

辛辣に言えば、子どもというおもちゃを失くしてしまった今、その穴を埋める材料など簡単に見つからない。

子育てという名の陰に、独立した他の生命体を己の意のままに動かしてみたいという野望が隠れていることに気づく者は如何ほどいるだろう。

そもそも身勝手な欲望が皆無であれば、子どもをこの世に存在させる事は困難であろう。
考えれば考えるほどに理屈のずっと先にある、自然現象に思考が跳ね返される。

なりたいように計画し、努力を重ね運も味方にしたと思ってきたが、人生の終わりは、やはり自然に太刀打ちできないとの結論に至り、これから益々増えるであろう心身の痛みに、あらがうことなく自然に受け止める潔さをいかに身につけるかが、あと残り20余年の充実度をあげる重大な要素になると思った。

今の時点ではまだ淋しくは感じられるが、人を含め動物との関わりを最小限にして、
物言わぬ植物にすがろうと思い、白菜の種をトレーに蒔いた。




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