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震災に何度でも向き合うこと――大槌での日々を振り返って <前編>

「似て非なる状況」――揺らぐ教育という名の足場

4月になり、2020年度がスタートした。
それぞれの学校で、職場で、地域で、新たな出会いと日常がスタートする――――はずだったのだが、全国的にどうもそういった雰囲気が漂っているとはいえない。

年度末に姿を現した、新型コロナウィルス感染症。
事態は収束はおろかとどまることをしらない勢いで、全国各所で相次いで”自粛要請”が出されている。
弊団体・NPO法人ROJEでも年度末からGW明けに至るまでのあらゆるイベントが中止・延期となった。その先の予定は未定。組織としても、運営や事業推進に先の見えない不安を抱えている。

さて、ROJEは教育系事業を展開するNPOであり、「教育でミライをつくる」というスローガンのもと、ときに様々な形で教育現場と連携しながら活動を進めてきた。このnoteの投稿を活動の1つに据える「災害と教育事業部わたげプロジェクト」もまた、防災教育をテーマとしたいくつもの実践を行うにあたり、たくさんの教育現場にお世話になってきた。
今、そんな教育現場の日常は大きく変容している。コロナウィルスの影響により、学校における最も基礎的な行為である「生徒の登校」でさえままならない状態となっている。新年度の学校再開が危機に瀕する中で、現場も、家庭も、行政も、極めて難しい対応を迫られる毎日が続く。

そんな現在進行形の教育現場の危機と「似て非なる状況」が、ちょうど9年ほど前に起こっていた。

「東日本大震災」。
東日本の太平洋側を襲った大きな地殻変動もまた、教育という名の地盤を大きく揺るがし、瓦解させた。そして、その名残というのは決して震災から数年を経た今現在においても無縁とは言えない。

そのことを我々「わたげプロジェクト」のメンバーが痛いほど実感させられたのが、昨年9月に実施した岩手県大槌町でのプロジェクト・ベースト・ラーニング(PBL)の活動だ。
震災直後から大槌町で「大槌臨学舎(コラボスクール)」という放課後学校事業を展開する、認定NPO法人カタリバのスタッフの方々にお世話になり、学習支援事業の傍ら、「大槌町の抱える課題を発見し、自分たちなりの解決策を実施する」という問いを考え続けた1週間。その概要はすでに、ROJEのブログでも全3回にわたって紹介している。
(リンクはこちら→学生ブログ① 学生ブログ② 学生ブログ③

それではなぜ、また今回大槌PBLにまつわる話を出すのかというと、ブログでは書き切ることのできなかった「残余」と呼ぶほかない考えが頭の中を巡っているからである。それは決して、綺麗な落としどころを持ったものとは言えない。むしろ、未だに収まるところが見つけられず、迷いとなって我々を立ち止まらせるものである。しかし、いやだからこそ、こうして文章として残し、発信していくべきではないだろうか。この投稿はそんな行く当てのない思考の産物なので、決して読みやすいものと言えないかもしれないが、どうかご容赦いただきたい。

震災は、なおも残りつづける

「震災は終わっていない」という言葉は、被災地支援の重要性が語られる中でよく耳にする言葉だ。しかしながら、その意味を実感をもって理解している人は、一体どれほどいるのだろうか。自分自身、大槌町で過ごす中でそのことをまるで理解できていなかったし、今だって理解できるかと言われると自信はない。

大槌町では数日間、カタリバスタッフの皆さんに同行し、小中学校や放課後居場所事業の学習支援に参加させてもらった。私は中学校をメインに訪れ、テスト前の自習の様子を見守りながら、時折わからない問題を教えた。教える中で、ちょっとした違和感を覚えるのに、そう時間はかからなかった。
例えば数学の問題。中学生の子が関数や方程式の問題に対峙し、授業で言われたことを思い起こしながら答えを導き出そうとする。ちょっと詰まっても、問題の方針を確認すれば、あとは四則計算など基礎的なことをこなせばOK。…のはずだが、意外にも問題の方針よりも、基礎的な計算で手が止まる様子が目立つ。寧ろ、問題の方針の理解に時間をかからないのがかえって不自然に感じるくらいだ。「小学校低学年で習う知識が抜け落ちているのではないか。」そんなことをふと考えつつも、学習支援の時間は丁寧に問題の解き方を確認することに全精力を費やした。

コラボスクールに戻り、夕方からはわたげプロジェクトのメンバー(このときのPBLに参加したのは5人)で活動報告のミーティングを行った。コーディネートを担当してくださるカタリバスタッフの方にも入っていただき、学習支援に参加して感じたこと・考えたことについて話し合う。私も自分の感じた違和感について話した。みんなで理解を示しながらも次の言葉を見つけあぐねていると、スタッフの方がすかさず口を開いてくださった。「その子たちは、ちょうど小学校低学年の頃に震災を経験してるから。」その事実が明言されたとき、私は学習支援のなかで感じた違和感に合点がいったと同時に、「震災は終わっていない」という言葉の真意に少しばかり触れたような感覚を覚えた。震災を経験し、津波で家も学校も流された。それに伴い、避難所や仮設住宅での長い暮らしが続いた。当然、物理的にも心理的にも、安心して学習に臨める環境が保障されていたとは言い難い。「学習どころではない」というのが実際だったのではないだろうか。そしてその影響は、震災から8年以上経ってなお、学習上の小さな躓きとなって現れる。基礎を積み上げることが要求される科目ほど、震災によって生じた「空白」の存在は手痛い。
震災は終わっていない。それどころか、3.11は今もなお、教育現場に根強く残り続けている。

そう考えると、教育支援の必要性はもはや自明といえる。学習は、学びは、未来への志向性を伴いつつも、過去の文脈から決して自由ではいられない。教育支援という形で被災地支援に関わるということは、学習環境の現状がどうのこうのという話ではなく、過去の学習環境が残した課題に向き合いながら、未来への可能性を紡いでいくことだと言えるのではないだろうか。そうだとすれば、教育支援ボランティアというのは、震災から数年の歳月が経った今だからこそ、そう容易く打ち切られていいものではないし、量的減少は避けなくてはならない。京都で学生として過ごす自分からすれば、こうしたPBLという機会を通して支援の小さな歯車になるのが精一杯だ。それでも、残り続けているものに向き合いたい。「災害と向きあう」というわたげプロジェクトの理念には、そうしたささやかな思いも包含されているように思うのだ。
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〈前編〉の内容はここまで。
教育支援の在り方など、自分には少々手に負いきれないテーマだったように思うが、それでも自分たちが被災地で見て、感じてきたことから、語るための糸口をつかんでいきたい。

それでは、続きは〈後編〉にて。

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