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宿命論的認識について考えてみた話。

宿命論的認識について知る前に、私が思っていた考えは、

”200人の大組織であれば、200通りの考えがあって、それでも一つの目的・目標に対して時には誰かが妥協し、許容し、反発するハミダシ者は理解されず、それは仕方のないこと。だって組織において協調性を図ることは大切だから。”

この背景として、銀行型教育が主流の義務教育で学び、育ってきた日本社会の一員である私たち一人一人が、同調圧力に対して耐性がつき、そこに対して違和感を抱かないことが問題なのではないか、とひとまず定義する。

部活動に所属してから、協調性を図ることは大切、このことに疑問を持つことがなかった。「組織の一員として」、自分の意見を持ちながらも思っていることを全て発言したら、「なんやねんこいつ」と、反感を買ってしまうことにもなりかねない。相手の立場に立って考えたら、これは言わないほうがいいのではないか。私は後先考えず発言して後悔することが多々あった。組織の一員として、自分の信念は曲げず、けれど少しだけ違和感を持ったとしても、反論せず黙り、許容することもあった。それは偽の共感なのか、いやそれも違う気がする。

宿命論とは、簡単に言うと「仕方ない」と片付けてしまうことであり、人間理解を諦めてしまっている状態を指す。理解より排除する、そっちの方が楽なのかもしれない。形成された輪の中で色んな意見や立場があってもいいはずなのに、レッテルを貼られた人は本人理解という過程に手間がかかるとされ、理解される前に排除される。社会的排除もこの理論なのではないだろうか。

社会に問題意識を向けるのではなく、個人が悪いと「人」にベクトルが向いてしまう傾向がある。若者の自殺率が高い日本において、生きづらさが自殺率を高めているとするならば、マイノリティを社会的排除するのではなく、マジョリティの環境にアプローチすることの方が壁を作らず人々の共感を生むのに有効的なのではないか。

協調性という言葉で綺麗に片付けてしまっているが、それはただ単に悪循環を生み、根本的な解決に繋がらない。ハミダシ者を人々はマイノリティと捉える。マジョリティ側からしてみたら、マイノリティ側がおかしい、マジョリティ側に合わせるべきと考えがちだが、本当に自分が置かれている立場がマジョリティであるとも限らない。

個人でいるときの自分と、集団でいる時の自分は全く一緒である人は少ないのではないのだろうか。集団でいる時の自分は他者が求める理想の自分に寄せるいわば「偽善」な自分である可能性が高いし、それも一つの自分、とするならば全く悪いことではない。しかしその現象は結局解離している状態であり、同調圧力に反発することなく、自分を偽ることが社会に生きる一因として楽なふりをしているのでは?と考えた。

問題が問題と言われることが問題であり、違和感を持ち反発すれば「それは言い訳だ」と頭ごなしに否定され、結局勇気を出して声を上げたとしても受け入れられず、元のいい子ちゃんに戻ることができない。それであれば、これまで築き上げたいい子のふりをし続けた方が居心地がいい、と考える人が多いのではないか。自分もその1人なのではないか。

一つ一つの行動を個性として受け入れるか、排除するか。私自身、組織の一員としての自分の振る舞いについて、もう一度考えてみたい。

この話を、同じゼミ友であるまきかなに話してみた。1年間ラトビアに留学し、多くの国出身の人たちと共生してきた彼女の経験からなる一つ一つの言葉がとても刺さったので、最後、書き記す。(話した時の言い方など、少し自分なりに解釈しているため異なっていたら申し訳ない)個人的意見であるので、一つの意見として温かい目で見てほしい。

まきかなとの話では、物事だけで色眼鏡をかけるのではなく、背景に耳を傾ける大切さや日本の根本の歴史的背景について話した。

「まず、日本ってみんな同じ価値観だよね?って進んでる気がする。」

「協調性が正義だ。みたいな文化あるよね」

「日本ではポイ捨てはダメだ、とかバイト中携帯いじるな、とかあるけど、日本人は頑張っている人が多いし、もっとラフに生きてもいいと思う。皆でしんどい方に向かって言ってる気がする。」

「日本って我慢大会だよね、逃げたい時は逃げてもいいはずなのに。」

「完璧を目指そうとする文化背景がある。」

「日本人って100m苦手やけどリレー得意やん、社会に合わせられない人に価値観を押し付ける必要はないし、しんどい社会を形成する必要もない。接客業もめっちゃ頑張るし、相手に求める分自分もそれなりに言ったからにはやらないといけない、がスタンダードになってる。」

「けどこうした固定概念を取り除こうとしてもすぐには変えられない。けど宿命論で終わらせたらいけない」

「縄張りがすごいあるよね、とりあえず海外いって視野を広くしようよって話よ」

「日本は異質な国やと思ってた、って思う海外の人もいる。英語も話さんし、アニメなどの独自の文化を築き上げている。孤立社会すぎて外国との繋がりがない。留学生が少しいるだけで、グローバル化を謳っているけれど、クラスの人たちが色んな国の出身の人たちで溢れてることは当たり前だし、協働することが海外では普通。日本は外国を意識しすぎている。」

「年功序列を尊重し、縦の関係を重んじる文化と年齢が絶対見たいな風潮がある。上からの命令は絶対という真面目な人が多いからこそ、敬語も圧力の一つの要因なのではないだろうか。英語みたいに、敬語がないと、気使うことはない」

「敬語を使うと申し訳ないという気持ちが芽生える。言葉の力って強い。」

こうした正解のない議論をすると、全然繋がってないようで繋がっている、ということがあるので面白い。

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