渡邊美友

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最近の記事

13②

今日の午前中に公開した、13年目の3.11への想いについての投稿(一個前の投稿)に予想以上に多くの反響がありました。 読んでいただいた皆さんありがとうございます。 「なんのこと?」と思った方、お手隙の際に読んでいただけると嬉しいです(↓以下、ご覧ください)! 普段noteをあげない私ですが、こうして毎年SNSを通じて想いを発信し、お忙しい中読んでいただきコメントやいいいねをくださり、あれだけ躊躇ってた割にやっぱあげてよかったー!となりました。背中を押してくれたこうた、ほん

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      3.11 毎年3.11に投稿していましたが、色々思うことがあり下書きのまま、投稿を躊躇っていました。投稿している今日は3月16日ですが、大学の後輩に背中を押されたので少し時間は経ってしまいましたが下書きのまま投稿したいと思います。読んでいただけると嬉しいです💐 ___________________________________________ 2024年3月11日の今日、東日本大震災発生から13年の時が経ちました。 震災当時9歳だった私も22歳となり、気づけば来週

      • 元帰宅部の私が関学サッカー部のマネージャーをして得たもの

        「毎年100万円以上の学費を払ってこの学校で学ばせていただいているのだが、この組織で学ぶことは、それ以上の価値があることだと思っている。」 この言葉は2年前ご卒業された先輩が2020年5月に投稿された部員ブログの一節で、この言葉が私が大学サッカーに飛び込んだきっかけでもあり、原点です。 大学1年生の春、コロナ禍により、大学入学前に描いていた理想の大学生活が奪われた中で偶然Twitterで流れてきた関学サッカー部の部員ブログ。 元々高校時代、帰宅部だった私は、スポーツがあ

        • 変わるべきは個人か、社会か、はたまたその両方か

          私は以前の投稿で、「福島出身」であることを心から誇れない自分がいることの生きづらさから、一人一人が自分らしく生きられる社会を実現したいと述べました。 それについて、深掘りしている中で私はふと、障害をテーマに扱う授業で出た、個人モデルと社会モデルの話を思い出しました。 【個人モデル】 …障害者が困難に直面するのは「その人に障害があるから」であり、克服するのはその人(とその家族)の責任だとする考え方 【社会モデル】 …社会こそが障害(障壁)をつくっており、それを取り除くこと

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          2011年3月11日。 あの日を忘れないために、原点に立ち帰るために、私は高校1年生の頃からあの日からの想いを必ずどこかに書き記すことを決めています。 高校1年生の時は、 違う地域で育ってきた仲間達と挨拶を交わす“普通じゃないけど当たり前な毎日”に感謝しながら、復興への最適解を模索する決意を新たにした日 高校2年生の時は、 ちょうどNYから日本に帰る飛行機の中で黙祷を捧げ、国連でプレゼンやディスカッションをした直後ということもあって震災・原発事故からの教訓を同世代や未来

          語る事の重要性-ラーゲリに愛を込めてを観て感じたこと-

          現在全国の映画館で公開されている、“ラーゲリに愛を込めて”。 1945年の太平洋戦争終戦後、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に移送され、過酷な重労働を強いられながらも『ダモイ(帰国)できる』と信じ生きたシベリア抑留兵の山本幡男さんと妻のモジミさんの11年に及ぶ愛の物語を描いた実話です。 私はこの映画を見て、どんな逆境や困難があっても絶望するのではなく、わずかでも希望をもち、自分の信念を曲げず行動し続けることの大切さを学びました。 それと同時に戦争の悲惨さ、終戦したからと

          語る事の重要性-ラーゲリに愛を込めてを観て感じたこと-

          宿命論的認識について考えてみた話。

          宿命論的認識について知る前に、私が思っていた考えは、 ”200人の大組織であれば、200通りの考えがあって、それでも一つの目的・目標に対して時には誰かが妥協し、許容し、反発するハミダシ者は理解されず、それは仕方のないこと。だって組織において協調性を図ることは大切だから。” この背景として、銀行型教育が主流の義務教育で学び、育ってきた日本社会の一員である私たち一人一人が、同調圧力に対して耐性がつき、そこに対して違和感を抱かないことが問題なのではないか、とひとまず定義する。

          宿命論的認識について考えてみた話。

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          今年もやってきた、3月11日。 ちょうど一年前、10年という節目に私はこのnoteを通じて一被災者として震災・原発事故に対する思いについて書きました。 1年後の、今。 先月20歳の誕生日を迎え、小学生だった私も遂に成人を迎えました。震災から10年の振り返りは、以前お話したので、今回はこの1年について振り返ろうと思います。 相変わらずサッカー部のマネージャーとして部活動に没頭する日々を送る傍ら、zoomを通じて福島県主催のふくしまナラティブ・スコラへゲストとしての参加や

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          今日は、私にとって、いやもしかしたら日本国民にとって忘れられない日でしょう。東日本大震災が発生して、今日で10年となりました。この10年、早いのか遅いのか、正直わかりません。それでも、あの時ランドセルを背負っていた幼い9歳の私が、来年には成人を迎えてしまうと考えた時、なんとも言えない気持ちになりました。震災、原発事故、そして復興。この事は、これまでもこれからも、私の人生において切っても切り離せません。この10年、私がどんな思いでいたのか、振り返りながら語っていきたいと思います