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2011年3月11日。

あの日を忘れないために、原点に立ち帰るために、私は高校1年生の頃からあの日からの想いを必ずどこかに書き記すことを決めています。

高校1年生の時は、
違う地域で育ってきた仲間達と挨拶を交わす“普通じゃないけど当たり前な毎日”に感謝しながら、復興への最適解を模索する決意を新たにした日

高校2年生の時は、
ちょうどNYから日本に帰る飛行機の中で黙祷を捧げ、国連でプレゼンやディスカッションをした直後ということもあって震災・原発事故からの教訓を同世代や未来世代に伝えていく必要性を改めて感じた日

高校3年生の時は、
被災地バスツアーや地域交換留学を通じて身の回りの社会問題に他人事から自分事として考え行動する人が増え、問題解決に向かう社会を作りたいと考えた日

大学1年生の時は、
関西に来てから福島出身だと心から誇れないことに違和感を感じていたけれど、自分はやっぱり福島や福島にいる人たちが大好きなのだと、改めて再確認した日

大学2年生の時は、
震災を伝えられる最後の世代と言われる私たちが成人を迎えて、被災者でありながらも記憶のない後輩達が一当事者として地域の復興へ行動し続ける姿をみて、発信し続けることの重要性を伝えた日

そして、大学3年生になった私の、3.11への今の想いについて今回は書きたいと思います。

2023年3月。
24卒対象の私にとって、就職活動が本格化する時期がやってきました。サッカー部の同期や他の体育会の仲間達など、同級生達が毎日全力で就職活動に打ち込む中、私は未だにどういった進路を描くか決めかねています。

勿論、焦りが全くないわけではありません。けれど、ファーストキャリアを歩む中で、私はどんな人になりたいんだろう、どんな業種につきたいんだろう、そもそも自分ってどんな人だったっけ、など自己分析を行えば行うほど具体化されていくはずなのに、抽象的な言葉しか発せずにどうしても詰まってしまいます。

けれど、何度考えても結局辿り着く想いがあり、それは

”ひとりひとりが自分らしく生きられる社会”
をいつかどんな形であれ、実現させたいということです。

震災・原発事故以降「福島出身」ということだけで放射能扱いや人が住めない町だよね、原発に早く帰れよ、などと言った心無い発言を言われる事が大学に入ってからも続いて、

「どうしてそんなに福島を悪く言うの?」
「あなたがもし同じ立場だったら、絶対そんなこと言えないはずなのに」
「なんで大好きな福島の人たちが差別や偏見を受けなければならないんだろう」
「今の福島の現状をしらないくせに、軽々しく否定するの?」

言われる度、こんなことを考えては反論したい思いをぐっと堪え、笑ってやり過ごしたこともあったけれど、言われた時の事を思い出すと時々涙が出てしまうこともあって、その時に 「あ、自分言われて嫌だったんだな」って気づいて、地元を誇りたくても誇れない自分に嫌気がさしてモヤモヤして、というのを今日まで繰り返しているな、と正直感じています。

大好きな人たちや故郷を否定され、誇りたくても誇れない生きづらさから、私はそれぞれのバックグラウンドを認め合い、個性を、人となりを、そうした違いを美しいと互いに思い合えたら、自分らしい色をありのままに表現する人が増えて、もっともっと心から笑える素敵な社会になれるのではないかと考えます。

こうした想いが自分の核にあるのも、震災・原発事故の二つの複合災害が発生した福島県にルーツを持つ自分が経験し問題意識を感じているからだと思います。

昨年9月、大学の授業の一環ではありますが福島県双葉郡富岡町にある富岡町3.11を語る会の実習生として、東京の中学生や福島県の復興にご尽力されている教授の方々などを対象に2日間にかけ、200名を超える方々に東日本大震災・原子力災害伝承館にて講演をさせていただいたとき、

震災当時から今日に至る12年間を、当時の状況などを踏まえながら話させていただいたあと、兵庫出身の中学の先生から、「あなたは1人じゃないし、一部の人たちは福島を否定してるかもしれないけど、私は福島が好きだよ」と言われた時、好きだといっていいんだなと思うことができました。それと同時に、語ることの重要性を身をもって感じることもできました。

この12年の間に、

震災関連死が福島が最も多いことや今もなお、行方不明の方がいる事実も
放射線の影響で外で遊ぶなと制限された時も
帰還困難区域として立ち入れない時も
自分たちの家に帰る為に国からの許可が必要な時も
常磐線の全線開通までに9年かかった時も
バリケードで立ち塞がれて、綺麗に静かに咲いていた夜ノ森の桜も通ることができた時も

色んなことを乗り越えて今の福島があります。

だからこそ、当たり前だと思っていたものは全然当たり前ではないこと、感謝しなければならないこと、嬉しいと思える気持ちを、忘れてはならないこと。全て震災・原発事故から学んだことです。

以前、私の考える復興として「誰もが復興と呼ばなくなった日」と定義しましたが、まだまだ復興という言葉は根強く残り、耳にする言葉です。

今日という日が
誰かにとっては忘れられない日で、
誰かにとっては特別な日で、
誰かにとっては悲しい日で、
誰かにとってはおめでたい日で、
誰かにとっては普段と変わらない日で、
誰かにとっては最悪な日で、
誰かにとっては最高の日で、

それは3月11日ではなくても、どんな日でも当てはまると思います。
ただ悲しみに浸るのではなく、二度と同じ過ちや過去を繰り返さないように、教訓を伝えていく。それが一当事者として、3月11日に自分ができる復興へのアプローチであると考えます。

忘れないために、知ってもらうために、ただ事実だけではなく、一当事者としての想いを伝えることが、3.11という日を忘れてはいけない意味を、このnoteを通じて誰かの心に届けることができたら嬉しいです。

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