髪のぬけどきなのな

10月27日
Netflixに「チンパンジーの帝国」というドキュメンタリーがあって、これを観て以来、人間社会のほとんどすべてが、チンパンジーと一緒にしか見えなくなった。
人間がチンパンジーの世界を描いたから、そのように思えるのか、もしくは、そもそも人間もチンパンジーもほとんど変わらないのか。
食べ物をめぐり群れ同士がテリトリー争い。群れの中では強い弱いで競い合う。
これは、だいたい人間の集団、国家、と一緒で、人間はそこに色々なギミックというか粉飾をして、人間は高等で唯一無二みたいな格好をつけているが、実のところ、根本的にはチンパンジーと一緒にしかみえない。本質的に、チンパンジーと変わらないことがよく分かる。

           ※
ジャニーズの裏側ばかりが取り上げられるが、芸能界というか権力やパワーの存在するところに、いわゆる倫理などというものは存在しにくくて、チンパンジーの世界と同じで、チカラあるものが、交尾にしても、食料にしても、優先できる。
これは、生き物の宿命で、人間的な倫理で、それを糾弾し、懲らしめようと、メディアは頑張るが、実のところ、まったく意味がなくて、常に権力やパワーは人間の作った秩序や倫理を踏み躙る。
メディア自身もそんな権力との蜜月を避けることもなく、機をみてはいい距離で小狡く付き合ってきている。
さらにいえば権力が落ち目になれば、一転して、攻撃にまわるのが、メディアの真骨頂で、まったく倫理のカケラもない。でも、むしろそれがもっとも進化した人間らしさかもしれない。とにかく、チンパンジーよりも、はるかに狡猾なのだ。
そもそも、倫理とはなにか。個々の人間の尊厳を尊重し、最大限傷つけないことが倫理であるならば、、。
まとまらず。


10月28日
トイレで山田洋次監督と並んでおしっこをする。

山田洋次監督の挨拶。
浜通りに、国立の撮影所を作ったらいい!と。
90歳を越えてなお現役のレジェンドの言葉。
ほんと、撮影所を作ったらいいな。
ハマカルというのは、経産省の若手官僚たちがやっている、浜通りを映像やアートで復興していこうという試みらしい。
アーティストレジデンスなどの取り組みがあるらしい。
まあ、国の助成金で浜通りを文化的に盛り上げようということなのか。そりゃ、盛り上げてほしい。
柳美里さんは、移住して書店と劇場を作ったりしているが。
のんさん登壇、遠野での映画制作の経験。
のんさんの「おちをつけなんせ」は、作品としても、それが遠野で作られたことにも、とても意味と意義のあるものだと思う。

浜通りでも、個別具体的にちゃんとなにかが作られることを期待する。
個人的には、山戸さんとのんさんがなにか組むことは可能なのだろうか、と思う。


           ※
近頃は、安い居酒屋に入ると大体店員さん全員がアジアの人、話している言語から、どこの国の人たちなのか、わからないのが自分としてはなさけないが、厨房接客男女ともに日本人はいない。日比谷ですらそうだった。
でも、基本的にはメニューもしつらえも、全部、日本の居酒屋。どういうことなんだろうか。
皆さん、どこの国のかたですか、ときけばよかったか。

           ※
たまに、知っている男性が、自分の子供のことを「うちのガキが」という言い方をするのに、遭遇すると、なんでわざわざガキという、下位の存在、付属物のニュアンスをかもしだす言葉を選ぶのだろうかと、モヤモヤする。


10月29日
近頃、近所の犬が深夜0時をまわった頃から、しばらく吠え続ける。
なんだろうか。

10月30日

https://president.jp/articles/-/75126?page=1

年収300万台の男性が生涯子供をもたない割合が62%というけど、お金だけの問題ではなく、社会そのものの変化により、個人の自由と、一度きりの人生の愉しみを、より個人的に追求するようになってきているのではないか。
普通に考えれば、結婚や子供なんかより、延々と自分の興味や好きなことだけをし続けるほうが愉しいのは当たり前だ。
それを個人主義の結果的には虚しい人生になるぞ、と脅す勢力というのもいるわけだけど、そして何より、著名人の結婚や出産はとりあえず、めでたいこととされている。
でも、本当にめでたいのか。
少ないお金で無理に働かず、身の丈の好きなことだけやって死んでいくので、なにが悪いのか。
ということはある。
それでは国がなくなる!!とか騒いでいる。謎の愛国者とやらはよく分からない。なにか大きなものと一体化したような気持ちでいると安心するのかもしれないけど、どのみち、ひとりで生まれひとりで死ぬんですよ。
個人が自由で愉しいと同時に、生きるにはとっても不安がつきまとうということは分かる。だからこそ、大きな物語に自分も含まれているという安心が欲しくて、愛国だの、家族愛だの、子供は大事、だのと言うのだろうし、それらを人にも押し付けて自らの安心につなげたいのだろう。でも、国も、家族も、なにもかも、所詮はあなただけのためには存在しない。
あなただけのためにあるのは、あなただけです。
人は本当にひとりだし、個なんです。
実際、家族も国も、個がよりよく安全に幸せに生き、死んでいけるように存在するものだと思います。
全体は、個のためにこそあれ。


11月2日
「オカルトクロニクル」を読む。
7人連続不審死や、主婦の失踪神隠し、井の頭公園バラバラ事件、わりと本格的な謎もある一方で、マリア降臨の奇蹟や、ドッペルゲンガー事件、のようにだいぶ怪しいものもある。

          ※
万博も例によってドンドンと予算が膨らみ、これでオリンピックみたいに贈賄の温床だったりすれば最悪だし、そもそも、これだけお金をかけて、その採算がとれるものなのか。
辺野古基地の移転もなんでこんな最悪なことになっているのか。
経済対策も4万円下げたところで何もかわるわけもない。ことごとく主権者はバカにされているんだろう。
           ※
昨日の残りのキムチ鍋に卵。渋谷ハードディスク受け取って桂花ラーメン。クリスピークリームドーナツ。ふたつも食べたら食べすぎだ。

「月」どうせ映画にするならば、事実を改変したらよかったのに。タランティーノのワンスアポンアタイムハリウッドのように。
結局、犯人が凶行に突き進む様子は何をどう描いても理解はしがたい。
宮沢りえオダギリジョー夫妻が、なにか創作することで、大変な現実をふたりで乗り越える様子を描いて、後半犯人とは距離をおいていく。それは、まあ、結局のところ、変なヤツとは距離をとっておけ。自分たちの幸せは自分たちで実現しようってことで、なんら救いがない。
心のあるなしを意思疎通が図れるかどうかで判断することしかできない浅はかなヤツをどうして誰も親身に説得できなかったか。
映画にしても現実にしても、誰も犯人とむきあうことがなかったのが、なによりもむごいことだったんだろう。
障害者が見殺しであったのは、現実も映画も一緒。
そういう意味ではきれいごとで逃げない、気骨のある映画かもしれない。

           ※

高瀬準子さんの小説をわりと、デビュー作から読んでいるけれど、なんとなく読みたくなるのは、なんだろうか、と思うのだけど。それは、村田沙耶香さんの著作を読みたくなるのと少し近くて、小説に毒があり、悪意がある。そういうところに惹かれるということかもしれない。
でも、その毒も悪意も、社会から植え付けられるものだったりする。
村田さんは、その毒を自覚し発散するようなところもあり、ちょっと主人公が強かったりもするけど、高瀬さんは少し弱いというか迷いもある。
そこに自らの似たところも感じて、読みたくなるのかもしれない。

今村夏子さんや川上弘美さん、絲山秋子さんも好きだけど、それとはまたちょっと違うベクトルかもしれない。
毒と悪意。

三浦綾子さんや田辺聖子さんも好きでわりとたくさん読んだけれど、それともまたちょっと違う。


11月3日
ふと思ったこと。
岸田さんや自民党の人たちが、本当に困っている人のためには政治をおこなえないのは、所詮、人間は身近で会ったことのある人間たちのことしか考えられないからではないだろうか。
会食をする経済界の人たち、後援会や、なにかのおりに恩を感じざるを得ない会い方をする人たち、そんな人たちの生活を考えて行動することぐらいしか、実際のところ、人間はできないのかもしれない。
奇しくも、安倍晋三さんが、生前「こんな人たちには負けるわけにはいかない」と言ったことが端的にあらわすことはなにか。
それはやはり自分の知っている、自分を支持する人たちの生活、を「こんな人たち」たちから守ることだろう。それが政治になってしまっている。
政治家の想像力のなさ、と言ってしまえば、それまでかもしれないけれど、多くの政治家が二世や三世、もしくはエリートだけになり、どこか国民と乖離している。


11月4日
NHKスペシャル宗教2世ドキュメントを観る。モザイクなしで、現役の統一教会で働く2世の若者が出ている。世間との接着点をさぐる姿が痛々しい。
基本的に、宗教にせよ何にせよ、親の思想信条を子どもに植え付けたり強制するのはダメだと思う。ただ、親も自分が信じていること、好きなことを子どもに伝えていきたいという気持ちは、紛れもなく善意ではあろうし、結果的にそれが子どもにとって悪き支配になってしまうこともあるけれど、決して親が悪魔的な人であるわけではなかろう。
それがなんともやるせないが。
そもそも、生きて、どうせ死ぬだけなのに、なにを信じようというのか分からない。信じることそのものがナンセンスだとも思う。
ましてや、お金や配偶者まで、団体に委ねてしまうのは、本当に信じるということなのかどうか。
信じないということを、信じていくことのほうが信仰的な生き方だし、そもそも自分以外の何かを信じ、その教えに従うとかあり得ない。

仕事をする。
使っている2013年製Mac Proはこの先、どのくらい使えるものだろうか。不安だわ。


11月5日
このまま、人口が減少し、なにもかもがダメになっていく国において、どうなっていくのだろうか。

11月6日
突然死について、考えない日はないのではないか。

11月7日
昼カレー夜つけ麺。
朝ごはんは抜き。そうでもしないと体重増える気がする。ギリギリ80キロにならないように頑張る。

11月8日
いつまでも、左派だ右派だ、と言っているのはクソバカだな。

それにしても、万博は税金バンバンつぎこむのに、美術館や救急車には税金は使われず、クラファンでしのぐ。
なんのための税金なのか、という気もする。


11月9日
万博、発注の最終決定を待たずに勝手に作り始めるとか、なんなん?もはや、国の行政、政治は壊れているのだろう。
辺野古の問題もそうだけど、本当に怒りと絶望しかない。

11月10日
日本はおそらく、なんだかんだ言って、一億総中流社会、先進国で、自民党や支持の多いところに寄っかかっていたら、どうにかなるという幻想で成立している、外からみたらわりと狂った国なのかもしれない。トッドローズさんの「集団の思い込みを打ち砕く方法〜」という本を読んで、日本は本当に大きな幻想につつまれていて、この先も、王様は裸だ!と言って、大きな変化の訪れることのない国なのかもしれない。
島国だからなのか、現実がどんなに過酷になっても、自分たちは大丈夫、すごい国なんだ、ということにしがみつき続けるような気がする。
本当に、このさき、一回本当に滅びるときが来るような気もする。
結果的に、中国とアメリカに分割統治されると思う。

11月11日
政治家の不祥事のどうしようもなさ。財務の偉い人なのに、4回も差し押さえになるほど、税金を払い忘れる。普通は、一度やらかしたら二度ないように、対策をたて実行するのが、政治に関わる人間の責務だと思う。
杉田水脈さんなど、その発言の仕方自体そのものが、政治家、いわゆる公務をつとめるに、適正のない人が多い。
おそろしいな。
そして、その結果として日本保守党のような、集団幻想をもとにした痛々しい政党をうみだしている。
なにごともを、「日本を」という巨大な主語で語る。

11月12日
もはや、ニュースから感じるのは、人類早く滅びたらいいということになってきていて、自分のメンタルを危惧するけど、本当に滅んだほうがいいとは思う。
というか、滅んでいい、と思っている。
なので、自分が倫理なるものを保ち続けられるのも、いつまでのことになるか。
厨二病か。

           ※

遠藤周作さんの「深い河」を読んでいて、ふと思ったのは、凡神論と一神論のことで、花村萬月さんの小説で微妙な違和感を感じる部分、それはどこかキリスト教的な思考、様々な価値の外にいる絶対的なもの、超越的なものへの信仰というか、そのような、枠外の超越を神的なものとする心性にいまいち、同意できない自分の気持ち。
貴種というか、選ばれし超越的な存在を描くこと、知覚することの愉悦みたいなものに、シンクロできない。
そういう意味では、まだ読んでいる途中だけど、深い河の大津には、自分はシンクロできる気がする。

11月13日
既存の価値観の強固なこと。
           ※

急に寒くなって、テキメンに体調が微妙。腰も痛い。どうなってんの。
そして、どうも洗濯機が壊れたようだ。


11月15日
あまりに髪の毛が抜けるから、ググってみたら、更年期的なものっていうことも書いてあって、んー、なるほど、と思った次第。納得はしていないけど。

11月18日
忙しかった。
なのに、深夜にラックを移動したりして部屋の片付けをしていたのだが、とにかく片付かない。
モノが多すぎる。
死んだら棄てられるであろうものばかりなので、自分で処分していくようにがんばらないと。

11月19日
久しぶりに髪を切る。
いよいよ、ハゲてきている。今年にはいってきて、というかここ半年で、だいぶ、抜けてきているぞ。
なんだろうか。

11月20日
すっかり疲れ果ててきている。

11月21日
ミサイルのアラートを出して、恐怖心を煽るだけの政府というものが、度し難いほど悪辣だ。
本当に脅威だと思っているなら、もっと北朝鮮と外交しろよ。バカのひとつ覚えみたいにアラートし続けるのは、いたずらに危機意識を高めるだけの愚策。
もし、防衛費をあげたいがために、意図的にやっている面があるとするなら、ほんとみんな地獄行きになれ、と思う。
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?