映画と政治


5月23日
のんさんのラジオにゲスト篠原ともえさん。篠原さんといえば、90年代のシノラーが自分には思い浮かぶけれど、今や会社をやられているようで、すごい。
おふたりとも、とても同じような志向を持っている雰囲気が伝わってきて、たのしい。

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僕は仕事中に眠るなんてただの一度もないのに、なんで国会議員はあんなに眠っているのか。謎すぎる。
どうしても眠ってしまうなら、椅子に電気ながれるようにしておくのは、どうだろうか。寝落ちたら電流!
もしくは、機動隊に羽交締めにしてもらうか。
神聖な国会で居眠りとは何事か!ってことなんじゃないかしら。

5月24日
G7で平和うんぬん言ってたのに、防衛費増額は意地でも通すわけで、ほんと意味わからない。

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泉房穂元明石市市長の施策を効果のあるものと考えて、マネする人もいれば、注目されていることを妬み絶対に認めず、なんなら敵視する人たちもいる。
人間の度し難いところだけど、うまくいっている人をどうにかして否定して、自分の施策がうまくいかないのを誤魔化したい。
マネをするにはプライドが邪魔する。悔しい妬ましい。そんな気持ちが透けて見える政治家ばかりで、本当にイヤになる。

5月25日
岸田さんの息子さんや甥っ子など、その一家が国会内でふざけた写真を撮って楽しんでいた、という文春報道。
ふざけた写真を撮って、それをさらに何者かにリークされているのだから、馬鹿にもほどがある。
クラクラする。
一国の首相として偉そうにしてるけど、この程度のことなのか。うんざりする。
そもそも、息子は書記官だかなんだかだよな。
首相の書記がこんなことで、本当に大丈夫のかよ、と思ってはしまう。
なさけないな。

5月26日
諸外国にお金を出したり、防衛費をあげたりは出来るのに、少子化や子育てにはお金を出さない。
それは結局のところ、解決する気はないんだろう。

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マッチングアプリや、お見合い、そういうものよりも、同級生同士の結婚のほうが、なんとなく肯定的、ロマンティックに思われるのは、なぜなのか。
たまたま出逢って、関係を深めあって、というのがいいのかもしれないが、考えてみれば、お見合いはともかく、マッチングは相手を見つけるには全然、素晴らしいものなのではないか。
少なくとも、偶然の集まりである同級生なんかよりも、気の合う可能性は高い。
そう思えば、嫌厭される謂れもないだろう。

5月28日
映画「魔女パート2」このシリーズ普通っぽい女の子が実はメチャクチャに強いっていうのがたのしい。続編もあるのかしら。

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北朝鮮が、人工衛星と称する弾道ミサイルを発射する予定を伝えてきたとあるけど、どういうことなのか。
北朝鮮は、人工衛星って言っているけど、いや!弾道ミサイルのはずだ!ってことなのか。
それの破壊処置を許可した、というけど、ほんとどうかしてる。

5月30日
Twitterを観ていると、どんどんと政治家たちのとんでもない発言行動があがってきて、憂鬱になる。
なんでこんなことになっているのか。

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電車内でも、喫茶店でも、どこにでも大きな声で話すおばさん集団、おばあさん集団はいるものである。うるさいとは思うけど、元気でいいな、とも思う。

本が多すぎて整理できず、目当ての本が見つけられない。

6月2日
それにしても、いつも気づけば、政治の愚痴ばかりを書いている気がする。
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遅ればせながら、「RRR」を観た。3時間。ずっと圧の強いシーンが続くのはほんと凄い。
なんだろうこのとにかく圧力をあげてあげて、詰めて詰めて。 

6月3日
公邸での私的なパーティーは、別に岸田さんだけでなく、代々続いていることなんだろうと思う。
岸田さんが特別急に始めたことでもあるまい。
とっくの昔から、公邸は私的なことに使われていたと思う。
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「怪物」
んー、とりあえずは、怪物は学校であり、ほしかわくんをイジメる生徒であり、それを隠蔽する校長およびその取り巻き。
それにしても、ここからじゃん!って時に映画が終わる感じがすごくて、どうなんだろう。まあ亡くなった。ってことなんだろうけど。
事実というのは、これほどに多面的で、人が場面場面でみせる顔というものも色々なんだな、ということがよく分かりはする。
そういう意味ではすごい映画。

なんでか分からないけど、日本映画、最後に「うわあーーー」ってなるようなものが、最近ないんだよな。それは、自分の感性が死んでいっているのか、どうなのか。
すごく単純にいうと、なんだか日本映画には情念がない。オリジナルにせよ、原作にせよ。
例えば、「怪物」でも、あの少年たちと闘う大人が現れて、とことん社会と対峙するならば、よかったのに、と思わなくもない。ただ「誰も知らない」の頃から、是枝さんはそういうことはやらない人だとは思うけれど。
でも、日本人全体にそういうメンタリティはあるのかもしれない。

そもそもそんな情念まみれの映画には、誰も出資してくれず、企画が成立しないのかもしれない。

6月4日
出生数が減って、″静かな有事″とか呑気なこと言い続ける能天気な政治家は、どうかしているし、所詮人ごとなんだろう。

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選挙率が5割以下で、選挙がまともに機能しているとは思えないのに、この方法が今後も変わらないのかと思うと、どんな破局がまっているのやら。
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泉房穂さんの本やインタビューなんかを読んでいると、やはり、黙っていたら、とにかく既得権益層。今までおいしい汁を吸ってきた人達が引き続き吸い続けることになるのは自明なんだな、と。
そして、この国のほとんどがそうなっていて、もはや吸い付くされたところで、彼らはさらなるおかわりを求めて、権力に働きかけているのだろう。
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映画「ソフト&クワイエット」
生活しているとちょっとした不満や憤り、モヤモヤとした不遇感を感じることもあるのが、当たり前ではあるだろう。
そんな感情たちに、ある捌け口が提供されるならば、それに抗うことが出来るかどうか。
映画の冒頭。幼稚園の先生をしている主人公は、生徒である男の子に、掃除婦に対して「床掃除は生徒が皆がいなくなってからそうじゃないと滑ったら危ないから」と注意にいかせる。おそらく掃除婦は移民である。
うっすらとした違和感から始まり、カメラは主人公が開催した、ある集まりへと進んでいく。
なんだろうと思っていると「アーリア人団結をめざす娘たち」とホワイトボードに書かれている。多文化主義は失敗した。白人国家にするべきだという女性たちの集まりだった。
白人が黒人を責めれば人種差別になるのに、黒人が白人を責めても人種差別にはならない。そんなことはおかしいと主張し、いかに自分たちが不遇で虐げられているかを語り、そしていかに自分たちの人種は優秀かを語る。
仲間同士でも、それぞれに立場も環境も違う、そういう部分ではそれぞれに、若干ディスりあったりもする。
集会の場所を提供していた教会の神父から出ていくように言われ、会は解散し、数人で主人公の家でワインを飲もうということになる。
会に参加していたひとりが経営するお店で、ワインを選んでいると、褐色人種の姉妹が店を訪れる。
そこで「閉店よ」と彼女たちを追い払おうとするところから、徐々にエキサイトしていく。
不遇を愚痴り、他人種を仲間で愚弄する。いつのまにか、仲間たちで交わされる言動は、相互に作用しちょっとずつ過激になり、実際の敵が現れ、彼らを懲らしめようと、言動が行動にうつされる。
それも行き当たりばったりに。
巻き込まれていく主人公の夫は、終始冷静で、途中でいなくなる。これが男性の集団であれば、彼も途中でいなくならなかったかもしれないが。
事態は、最低最悪なものとなっていき、暗澹とした終わりなんだけど。
90分ワンカットという緊張感も相まって、実際に事件に居合わせてしまった感じがすごい。
誰かをなにかを貶めるために人が集まり、集団内でエスカレートし、外に向かって爆発していく、そういうことは、実のところ、わりと日常で起こりそうなことでもある。例えば、そこにいない上司や、共通のむかつく奴の悪口は盛り上がる。結果、その後、あんなにあの人のことを悪くいうことはなかったのにと、少し悔いる。

日常的にある不満や怒り、他者から攻撃されているという被害意識と、それに対する対抗意識、攻撃欲、そのような共通項を持った者同士が集まってしまった時に、集団内で相互にエキサイトされてしまいかねない、その結果、誰もが思っても見なかった地獄が出現している。そういうことはある、という恐怖と説得力に満ちた、すごい映画。

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泉さんも話している通りに、市がお金を出す工事なんかは、無駄だと分かっていても、予算がついて市の税金が流れているんだろうな。
ほんと、極度に税金を払うのがむなしくなる。

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