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初めて会う叔母を訪ねて

ぼくは生まれも育ちも北海道。途中ちょっとだけ東京で暮らしもしたけれど。だから、親戚も従兄弟もほとんどが北海道で暮らしている。「親戚が北九州市にいるんだよね」と、いつも通り呑気な口調の父から聞いたのは、つい最近の話だ。

たまたま九州の大学に通う娘が「引っ越しをしたい」と言い出した。その後、いろいろあって、一年間はしないことになったのだけれど、その話は長いので割愛。孫にいいところ見せたかったのか、ぼくの父は大量のダンボールを九州に送ってくれた。「北九州市に従兄弟が住んでいるから、そこに送っといたから」と呑気な父。

引っ越しが延びたことで、結局、そのダンボールは一年間寝かしておかなければならなくなり、北九州市の親戚のところに預けっぱなしになった。会ったこともない遠い親戚なので、何度か電話をして、お詫びとお礼を言った。なのに、遠い親戚の叔母さんは、ぼくから電話が来たことをとても喜んでくれた。会ったこととないのに。それが、なんだか、とてと嬉しかった。

その叔母は、ぼくの祖母の弟さんの娘さん。つまり、父の従兄弟にあたる。ぼくからしたらどう言う親戚にあたるのだろう。もう、これだけ遠いとよくわからないんだけれど、「せっかく九州にくるなら、どうぞうちにお寄りください」と言っていただいた。

たまたま大型連休に、北九州市の娘のところに遊びに行くことになり、せっなくなので、その遠い親戚にも会いに行ってみようと、門司港のお家を訪ねてみることにした。顔も知らない親戚のうちに遊びに行くのは、なかなかの冒険なのだけれど、こういうハプニングこそ大好物なので、一路、電車に飛び乗った。いえ、本当は、飛んでないけど。

初めて会う親戚の叔母と叔父は、どこか亡くなった祖母に面影かある。早くに伴侶を亡くし、長く勤め人だった祖母は、気性の荒い人だったらしい。それを引き継いだのか、父もぼくも気性の荒さに引けを取らない。

「あなたのお婆さんは気性のあらくて、若い頃にはよくいじめられたのよ」と北九州の叔母さんは冗談混じりで笑う。笑うおばさんのの面影も、どこかその祖母にも似ていて、ちょっとだけ涙がでた。ぼくは、子どもの頃から、その気性が荒い祖母と気があっていて、大好きだったのだ。

北九州の叔母さんは、地元の刺身や、大好きな日本酒を出してくれた。父方の親戚は、父と母が離婚してからは疎遠だったけれど、こんなふうに一緒に楽しくお話をする機会が来るなんて、生きていて良かったなぁと思う。

北九州のおばさんは「お互いいろいろあったよねぇ」と笑った。もう、70年以上人生を紡いでいる叔母さんほどではないにしろ、さすがにぼくの50年も楽しい事ばかりじゃなかったし、紆余曲折あった。でも、血のつながった叔母や叔父と初対面でお酒を酌み交わせる人生は、とてと良い人生なんじゃないかなと思う。

それにしても、叔母さんが出してくれた獺祭の純米吟醸は美味しかったなぁ。たぶん、人生で一番の日本酒のなったと思う。それにしても、北九州市門司の街は、どこかぼくの生まれた北海道の小樽によく似てる。

血のつながりが、人生を縛り付けることもある。でも、その血のつながりに救われることもある。とても大切な時間ができたことに、後ろ髪引かれながら、ぼくは門司港を後にした。

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