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「蛙化」する場面第1位についてぼやく

家族でテレビを見ていて「蛙化」するという言葉に心がざわざわする。

「蛙化」という言葉なのだが、どうやら「異性への好意が消えてしまう言動」のことを言うらしい。Wikipediaを見てみると以下のように説明されており、それの意味合いが曖昧化•変遷して今の使い方になったと、そのテレビ番組では説明されていた。

女性がある男性に対し一方的に好意を持っていると理解している状況で、意中の男性も自分に好意を持っていることが明らかになると、その男性に対して生理的な嫌悪感を持つようになる現象
wikipediaより

そのテレビ番組によると、「蛙化」になってしまう異性の行動場面(=嫌悪を抱く異性の行動場面)のランキング1位は、「飲食店に行って、店員さを呼ぶ時の声が届かない瞬間」だというのだ。

ぼくが店員さんに声をかけると、100%届かない。声が小さいわけではなく、声の周波数帯が一般人たちに聞き取りづらいらしく、普通の会話場面でも聞き返されることが多い。

そうか。ぼくの言動は、異性の「蛙化」を招いていたのだと、この番組を見て初めて気がついた。 

言われてみると思い当たる節がある。

中学校3年生の時、初めてできたカノジョと2人で蕎麦屋に行ったのだけれど、店員さんが全然きてくれなくて、「すみません」と声を出しても、なかなか気がついてもらえなかった。そのカノジョとは、一か月くらいでお別れしたのだけれど、あれが原因だったのかもしれない。

ちょっと待てよ。

蕎麦屋に行く前に、ぼくらは映画を観た。初めてのデート映画なので、ドキドキしながら選んだ記憶がある。ぼくが選んだ映画は、ウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」だった。当時、地元の名画座はウディ・アレン特集で、「アニーホール」や「ハンナとその姉妹」がとても素晴らしくて、当時のぼくはウディ・アレンにかぶれていた。

きっとカノジョもよろこんでくれるだろうとドキドキしていたのだけれど、残念ながらカノジョはぼくの横の席でイビキをかいて寝てしまっていた。寝起きのカノジョは、ぼくにこっそり教えてくれた。「本当は、『ビーバップハイスクール』がみたかったの」。

あのときのカノジョに蛙化を招いてしまったのは、通らないぼくの声だったのか、ウディ・アレンだったのか。今となっては知る由もない。

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