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絶望の数


生きてるうちに人はどれだけの絶望を経験するのであろう。
もう記憶にも残っていないような小さな絶望から、
ぜったいに忘れないであろう大きな絶望まで。


わたしがいまでも思い出す人生初めての大きな絶望は、
小学4年生の夏、父方の祖父が亡くなったときだ。

生まれてから5歳まで、いま実家があるところとは随分遠くに住んでいた。
いまiPhoneのマップで調べたら車で最速で4時間半かかるほどの距離。

その日は、その土地に住む友達に家族で会いに行っていた。
夜中、母に慌てて起こされ「おじいちゃんが倒れたから」と車に乗り込み
父の運転で帰路についた。よく覚えている。
余裕のない父を見たのは、その日が最初で最後だったように思う。
高速道路の標識を見ながら、そっちの方面に行くんだ、
祖母の家に向かうんじゃないのかな?と、やけに冴えた頭で考えていた。
父は気が動転していたのか少し経ってから「方面を間違えた」と呟いて
わたしはやっぱりそうか、と思っただけで口には出さなかった。
子供ながらに空気感で気づいていたんだと思う。
もう間に合わない、ということに。
無駄なことは言葉にするべきじゃない、という状況に。

祖父は芸術の能力に長けていて、
よく綺麗な形の石に猫の顔や模様を書いていた。
可愛い形(野菜の形とか)のお皿も作っていた。
寡黙な人だけど、すごく優しかった。
みんなで盛り上がる和には入ってこず
気づいたらどこかに散歩に行っている、そんなひとだった。
わたしのことを、とても可愛がってくれていた。

祖父が死んでしまったとき、わたしが1番に思ったこと。
わたしが生まれて初めて感じた絶望。
いま思えば全くそんな事実はないことがわかるんだけど、
『この世界での唯一の味方がいなくなってしまった』
そんなことを感じて、絶望して、泣いた。
祖母の家の2階の真ん中の部屋に閉じこもって泣いていた幼いわたしを
いまでも思い出すことができる。

わたしは、今でこそ家族にはとても愛されていた、愛されていると思える。
けど小さな世界で生きていたわたしは、後から生まれた弟がとても可愛くて、
わたしからしてもとても可愛いけど、
周りの大人からしてもとっても可愛い存在であることも理解していた。
弟と喧嘩して怒られるたびに、唯一味方でいてくれたのは祖父だった。
他の大人には「お姉ちゃんなんだから」と言われるのに
祖父だけはわたしを咎めず、そばにいてくれて、優しい言葉をくれるのだった。

祖父が亡くなる数週間前に、校外学習で演劇を観に行った。
わたしは祖父が買ってくれたキャラクター物の鉛筆のキャップを使っていて
そのキャップを移動中に落としてしまった。
コロコロと飛んでいくキャップ、どんどん進んでいってしまう列。
キャップを取りに行くことはできなくて。
「あのキャップを無くしたから祖父は死んでしまったんだ」と
そんなわけないのに、そんなふうに自分を責めた。
それからわたしは他人から形に残るものをもらうことがすごく怖い。
それを無くしてしまったら、と思うことが怖いのだ。
そして無くしてしまったときに、小さな絶望が積み重なる。

大事な人が亡くなる怖さが、絶望に変わった瞬間だったのだと思う。
のちに、愛犬が亡くなってまた絶望を感じることになるのは
そこから10年後くらいになるのだが、
この絶望の経験から、わたしは大事な人たちが増えていくことが怖くなった。

自分の子供も欲しいと思わなくなったし、結婚願望もなくなった。
大切な人ができればできるほど、生きるのが怖くなる。死ぬのも怖くなる。
その怖さを手に入れるのができなくなった、それもまた絶望だなとおもう。


けど、たまに考えることがある。
その絶望を抱えてでも愛したいと思える相手に出会えたら、
どれだけ幸せだろう、と。




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