見出し画像

2023年11月 おかげ参り2

←前
 伊勢へ。内宮へ。
 が、またしても腹が減ってきました。とはいえもうここはおかげ横丁。多くの飲食店等が列なり、観光客でごった返しています。月曜日なのに嘘だろ、といった感じで。加えて唯一予定にしていた昼食の焼きうどんが今日は休売とのこと。えぇ、じゃあ何食べよう。伊勢うどんの店は混んでるし、参拝後の腹ごしらえでもいいけれど、内宮は広いし時間がかかりそう。今日三度目の小腹満たしはっと、赤福の茶屋がありました。何気に赤福まだ食べたことなかったし、小腹に船で。赤福二つとお茶一杯で300円。安い。そのへんの座敷に勝手に座って、川を眺めながら食べるスタイル。餡子に包まれた餅の弾力が嬉しい。
 さて、今度こそ行きますか、と参道を行けば、ひしめくほどじゃないけれど人がたくさん。けれど、どうしてだろう、ここにきて外国人観光客の姿をさほど見受けない。そういや伊勢全体でそこまで見かけない。熊野のときは結構見かけたのにな。まぁ、人波に乗って宇治橋前の大鳥居へ。
 正直なところ今回の伊勢参拝は、自分がとにかく伊勢神宮に参拝したいから行く、というよりも、おかげ参りという古くからの営みが今も続いているのが好きだから、という側面が結構あります。昔も今も、多くの人が参拝しているという事実が好物なのです。だから、伊勢に来てもそこまで感極まったりはしないのだろうなぁ、と思っていました。けれど、宇治橋の脇に立つ少し古びた案内板の中の一文、「私たちの総氏神でもあります。」を読んだ途端、あぁ自分は今、ほとんどの神社の頂点というか根っこの神社に来ているのだなぁ、という実感が湧いてきました。今まで巡った数々の神社。その合掌。この鳥居の向こうこそが。
 宇治橋を渡る前、大鳥居を見上げては、少しばかり佇みました。

 木製の宇治橋を渡っていきます。眼下には五十鈴川。橋の先の鳥居で外宮同様の厳めしい出で立ちの警備の方が玉砂利を大きな熊手で均していて、丁度そこが鳥居の真下だったので参拝者の足を止める形となり、熊手で押した玉砂利がこっちの足下にも散ってきて、自分の周囲は「おぅっ?」という感じになってました。熊手の動きが何だか参拝者を追い返すような感じにも見受けられ、あまりの人数に警備の方も苛ついているのかなぁ、なんてことを思いながら、その脇を抜けました。まぁ、人間は人間だよね。
 鳥居をくぐるたびに一礼。五十鈴川で紅葉を眺めていたら「お兄さん、すいません」とおばちゃんに声を掛けられる。スマホを手にしていたので、「シャッターですか?」と応じようとすれば、スマホがフリーズしちゃって動かないとのこと。そんなことで声かけられることってあるんだ、と笑ってしまう。確かにカメラの画面のまま固まっている。電源ボタンを長押ししてもダメとのこと。とりま受け取り、とりま電源長押し。長押ししてもダメなら俺にもどうにもできないけれど……、とか言いながら、長々押していたら、画面が落ち、5秒くらい待ってから、また長押し。再起動に成功しました。あぁ、よかった。ありがとうありがとう言われ、関西人でもないのに何だか「おおきに」というセリフが喉まで上がってきたけれど、お気になさらずと、五十鈴川をあとにします。
 橋を渡って境内別宮の風日祈宮(かざひのみのみや)にお詣りして、いよいよ正宮(しょうぐう)へ。混雑の中、またもや目に付くのは蕃塀(ばんぺい)。階段を一歩一歩上がって、端っこのほうで二拝二拍手一拝。
 その後、境内を巡って、蕃塀を見つけるたびに蕃塀蕃塀とつぶやき、鳥居をくぐるたびに一礼して、ようやく宇治橋まで戻ってくる。家族連れを多く見かけたけれど、友達と連れだってそのご神木の太さで賑やかにしたり写真を撮ったり、表現としてはふさわしくないかもだけれど、神道の一大テーマパークといった感じで親しまれているのだなぁ、と。それでも一転、神前に来れば、皆黙って手を合わせて。人の混雑ってあまり好きじゃないけれど、でもこの光景は好きだなぁと思いました。

 さて、参道を戻ります。というか、色んな場所で一礼してきたので、しまいにはトイレを出たときもその入り口で一礼しそうになりました。感謝感謝。お昼時は混雑していた道も、今は少しまばらに。これならとのれんをくぐれば、空いている店内。ようやく昼飯にありつきます。伊勢うどんを注文。ふわふわした柔いうどんに、醤油のようなタレを絡めて食べる。普段うどんは硬めが好きなのだけれど、結構美味しかった。その後も、たこの天ぷら棒(関東で言うさつま揚げ。めっちゃ美味かった)を食べ歩きしたり、国産の焼き栗を頬張ったりと、何だか食べ過ぎじゃないかという気もしたけれど、これにて内宮をあとにします。ありがとうございました。あとは近くの駅まで歩いて行こう。というか、道路に出たら観光客が他にいなくなったから、歩きで移動している人はほとんどいないのね。
 っと、何だか気になる感じの白鳥居がコンビニの敷地脇に。上田神社(アマテラスの弟のスサノオが祀られている)。玉砂利の参道を緩やかに上っていけば、白塗りの社殿。自分以外には誰もいなく、そっと手を合わせます。そうして駅へと向けて歩いて行けば、今度は月読宮(つきよみのみや)。そう、午前中に詣でた月夜見宮と同音です。こちらは内宮の別宮なのだとか。どうして内宮と外宮で響きは一緒なのに字面が異なっているのか。その場でちょっと調べたけれど、あまり詳しくは分かっていないようで。まぁでも、正宮とは打って変わって、参拝客は自分も含めて数人なので、静かに詣でることができました。
 さて境内には駅方面へと抜ける道もあるようで、杜の中の参道を行き、五十鈴川駅へ。丁度電車が来たので、乗り込んでは空いている車内に腰を落ち着けます。さようなら伊勢神宮。人が多すぎたためか、あまり旅らしい感じはしなかったけれど、ようやく参拝することができて良かったです。

 列車にしばし揺られて着きたるは松阪。今日はここに宿を取っております。松阪。もう夕飯は決まったも同然。とりあえずホテルにチェックインして、ベッドで寛ぎます。少しうとうとして、やっぱりお腹が減ってきたので、夜の松阪へと繰り出す。少し歩けば「焼肉・ホルモン」と看板を提げた店がすぐ目に付く目に付く。店は決めていません。そのときの印象で決めようかと。が、最初に前を通った焼肉店から腹をなぶる匂いが。いやもう少し歩いてから、と腹をくくって夜道を行くが、先ほどの匂いが忘れられず。その後も数店の軒先に立ったが、もう面倒だから最初の店でいいやと引き返す。いい匂いが決め手でした。
 今日は結構歩いたし、せっかくの伊勢だし、奮発しちまおうと、まずは瓶ビール。松阪牛ではないけれど、普通のカルビ。松阪牛のホルモン。を皮切りに、我慢できなくなって大ライス、松阪牛の上カルビ。付け合わせで辛味ネギを頼んだら、一人でどうやって処理すんだってくらいにどっさりと。そんでもってもういっちょホルモン。正直なところ、普通のカルビでも充分に美味かったが、伊勢参拝の疲れもあって、美味しい晩ご飯でした。満足満腹。
 その後、ただホテルに戻るのもつまらないので、松阪の住宅街を散策。松阪。牛肉のこともあって、名前は相当知られているけれど、その割には繁華街っぽいところはなく(駅の出口によるかもだけど)、なかなか落ち着いた町です。個人的には結構好きな雰囲気です。
 そうしてホテルの地下の温泉に浸かり、早々に眠りへと落ちました。おやすみなさい。

2日目

 無料の朝食を食らい、時間ぎりぎりまで呆けて、松阪の町へと繰り出す。観光案内所で地図をもらい、ついでに各種施設が割引になるとのことで、松阪の謎解きマップももらい、松阪城下町へ。謎解きマップ。ペンがないので苦労はするけれど、あれ、ちょっと頭を使うな、と歩道で立ち止まる。とりあえず最初の三つの謎を解いて手がかりの場所を導き出し、別に謎解きとは関係ないがまずは御厨(みくりや)神社へ。地図を見て、何となく行きたくなったのです。
 社殿はかなりの年季を感じるけれど、とても清潔に保たれている、ことから地域の皆さんに大切にされてきたんだろうなぁ、と。屋根の下に地域放送だろうスピーカーも取り付けられていて、きっとここは地域の憩いの場なんじゃないかなぁ、とも。御厨神社。何だか好みの雰囲気でした。
 さて続いて向かったのは、旧小津清左衛門家。ここからは昔の建築を見て巡ります。三施設共通で安くなるのと、さっきの謎解きマップを提示で団体料金となるので安い安い。時間もあってか見学者は自分しかいなく、ご年配のガイドの方が出てきて下さる。もちろんお話を伺いましょう。
 小津家は紙問屋として江戸時代に成功を収めた松阪の豪商である。明治維新のとき、薩長は幕府側に貯蔵金があると見込んでいたが、いざ大政奉還してみたらそんなものはない、このままでは国の運営が立ちゆかない、てなときに、明治政府に寄付を行ったてな話も出てくる。そのとき一番寄付をしたのは同じ松阪出身の三井家で、松阪の観光パンフレットにも「豪商のまち松阪」と謳われているから、松阪には本当に豪商が多かったようで。小津和紙店は江戸の頃から東京・日本橋にお店を構えていて、株式会社化して今はビルが建っているとか(日本橋にすごい和紙店があるのは知ってたから、多分小津和紙なのだろうと)。その他、昔は一日に二万人が伊勢へと向けて目の前の街道を通ったと言われているが(数字には少し記憶違いがあるかも)、その旅人たちに無償でおにぎりを配っていた、なんて逸話も。で、そのときに江戸の流行を聞き出して、商売に活かすのだと(そういう情報の仕入れ方もあるのか)。そんでもって、おにぎりを恵んでもらった人々は「江戸に帰ったら、日本橋のあんたんとこの紙屋で買うよ」という感じだったようで。なかなか面白い話です(ちなみに暖簾分けしたほうの家の子孫が、映画監督の小津安二郎です)。
 小津家の話だけでなく、その家屋も案内してもらいます。自分の目を引いたのは、まず玄関。他の天井がしっかりとした板張りなのにも関わらず、玄関の天井だけは質素なすだれです。これは商いを起こした当初の貧しい家を模しているようで「初心忘れるべからず」という思いを込めているのだとか。そうしてもう一つは、下女と(ガイドさんは別の表現を使っていたが忘れてしまった)、丁稚の暮らし。要は奉公に来ている女性、男性の扱いの違い。下女の人々は階段箪笥の二階に寝床があり畳敷きなのだが、男性の丁稚はあまり目立たない扉の中の細い階段の先にある板敷きの部屋をあてがわれていたとか。片や目に付く入り口に畳敷き、片や目立たぬ入り口に板敷き。小津家特有かもしれないけれど、何だか当時の男女の扱いの差異が目に浮かぶようで。あとは庭に出てぽかぽかと日射しを浴びて温まり、ガイドさんにお礼を言い、旧小津家をあとにしました。まだまだ松阪巡るぞー。
続→

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?