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無意識=自然が宿る端材Bについての考察。

ワークショップやポップアップで出た端材でメリークリスマス。
商業主義によらずとも、
美を紡ぐことはできるのだろうし、豊かな日々を送ることができるのだろう。
己の判断によって選ばれたものを他者がとやかくいうでなく、
ただいずれも間違いではない、責任の伴う選択に溢れることを願う。

話変わりまして。端材って魅力的ですよね。
選ばれたものA選ばれなかった端材Bがあるとして。
Aは作品、として日の目を見るのかもしれません。
華やかな舞台を用意されている可能性すらある。

対してBはそのままゴミ箱に打ち捨てられることの方が多い。
しかしどうでしょう。
人の判断のよらないもの、無意識化のものとして自然を捉えるならば、
AよりもBの方が、人の意識の影響を受けていないとも言える。
で、あればもしかしたら端材Bを花材としていける方が自らの手を離れて、
より自然に同化したものとしていけばなにできるのではないだろうか。
なんて。
意識しすぎた端材BはいつしかAとなりかねないわけで、
となるとBは忙しい中で生まれたものにのみ、見出すべきだろうなと。
ええ、何言ってるの、です。けれど真剣にそう思っています。

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ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。