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先生への感謝と流派の行末と自然描写。

今日は久しぶりに親先生のところへ。先日神戸で行われた授与式で授かったお免状と土産を持参しました。小原流の技術資格としては最高位に当たる一級家元教授者、21年目でようようの一区切りにして、スタート地点。
「わざわざ持ってきてくれたの、まぁ」と、喜んでくださって何より。お世話になった人の笑顔は嬉しいものです。

私の先生は技術的に優れ知識も豊富。そうした先生は少なからずいらっしゃいますが、出色は花の捉え方です、実にうまい。いきいきとした姿でうつわの上に現れる。花への愛情だと言ってらした。それにほぅほぅ頷く私。先生にうまいだなんて、門弟の物言いとして失礼だという向きもあるかもしれません。しかしまぁ懐の深い先生ですからいつものように笑っていらっしゃる。

伺った時間がちょうどお稽古の谷間で、たまたま居合わせた花のキャリアも年齢も近い旧知の男性も含めて3人で社中や流派のありようをあれやこれと提言したり、改革の進捗を伺ったりと気づけば2時間。私が今も組織に属している理由は花道家として独り立ちした身としての先生と流派への恩。今となってはフリースタイルでいける身とあっても、その根底にあるのはお稽古を通じて育んできた自然観や花あしらいです。組織への貢献という点では至らぬ部分も多いですが、それでも個人の活動の中でいけばなを俯瞰しつつ、遊軍としてしかるべき時を待っています。

小原流の強みは自然描写です。花の歴史の中で幾多定められた花型のなかでも、型を用いて日本人の自然観を国内外の方に学んでいただく上で、小原流が定めた盛花、特に写景盛花はわかりやすく、馴染みやすいと考えています。

振り返ってみれば花を続けられたそもそもの理由にしても、自分が幼い頃から触れてきた自然植物と、お稽古を通じて先生が見せてくださった自然観の近さゆえだったように思います。ただこうした自然観、あるいは自然に触れる機会、人の手の入っていない自然を観察する機会を持っている人は減りつつあるのも実際のところ。

自然描写が強みです、なんて小原流にあっては、会員向けに山での実施プログラムなどを積極的に取り入れるなどして、自然観察眼とアウトプットの底上げを図る施策など提案差し上げてみたりして。こうした自然描写/いけばなを通じて、自然とシームレスに暮らしてきた日本人の姿や価値観を伝える役割を、流派が担えるのではないかと、僭越ながら思ったりもするのです。


ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。