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芸事、事(ワザ)と理(コトワリ)について。

火曜日、Milanoのご縁からLOEWE FOUNDATION CRAFT PRIZEのオープニングに顔を出してきました。向こうでご一緒した懐かしい顔と再会したり、編集者時代の知人と旧交を温めてみたり。なにより、並んだ作品に積み重ねた技術を自己の表現として落とし込んでいる様を垣間見て我を省みたりと充実した時間でした。

ここのところ海外の方から媒体インタビューのようなものをいただく機会がぽつぽつとあり、改めていけばな史を駆け足でおさらいする中で、芸事の事(ワザ)と理(コトワリ)について書いた部分に『型を指針としてワザを充実させ、そののち型を破ってコトワリをかたちとする』みたいな部分がありまして。

明治から昭和の初期にかけて方々、流派がぽこぽこと生まれた時代があるようです。花のありようは時代の要請とともに変化するもの、ということを指し示しているようでうれしい。反面、細分化されるほどに指針たる型はその体積を小さくしてきたのではなかろうか、とか、型を破ることが芸道に組み込まれたものだとしたら、破るためにコトワリが捻じ曲げられて解釈させることもあったのではないか、などと思ってみたり。

一杯の作品に自然(を抱く宇宙までも)を表し、宇宙のコトワリを一杯、一輪の花に凝縮させていける。いやはや…、そのありようは人の数だけうまれそうです。


ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。