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10年前に辞めた駅員バイトの同僚に再会

2023年10月15日(日)
2014年3月までバイトをしていた同僚数名と久々に再会してきました。会うのは数年ぶりのメンバーが大半ですが、まるで昨日会ったばかりのように話は弾み、本当に良い環境でバイトしていたんだなと振り返る良い機会になりました。

自分が学生時代に某大手私鉄で駅員のバイトをしていたというのは著書などで書いていますが、会社名も諸々のヒントから分かっている人は分かっていると思うので書いておくと、高校の近くということで京急の駅でバイトをしていました。
京急というのは最近は13連勤電鉄みたいなワードが有名で、ブラック企業みたいなイメージが強い。それも事実なのは確かだが、私がいた駅に関しては利用者が少ない駅で、仕事量に対して従業員の人数は多く、比較的ゆとりのある仕事をしている駅だった。そのためバイトの同僚や社員からは大変よくしてもらい、私が「鉄道会社の仕事は良いものだ」と考えられるようになったのもこの京急でのバイトが素晴らしい経験だったからであることは間違いない。今でも感謝している。少々長くなるが、せっかくなのでバイト時代どのような経験をしたか振り返ってみる。

2006年5月、母から高校生になったら小遣いは廃止するので自分で使う分はバイトして稼げと言われており、私もそれに賛同していたのでバイト先を探していた。しかしどうやって探せば良いか分からない。適当に求人誌を開く。定番のコンビニのバイトが良いかなと思ったものの、条件に「16歳以上」と書かれている。私は12月生まれなので高1の5月の時点では15歳。求人誌に書かれているものはどれも年齢が16歳以上と書かれていた。
「これはもしかして16歳になるまでバイトは無理かー、どうしよう」
と思いながら高校の最寄り駅をいつも通り通過したところ、
「駅アルバイト募集 高校生以上」
との張り紙が貼ってあった。これなら15歳でも可能なのではないか?と思い問い合わせると、面接をするので後日駅に来てくれとのこと。
面接では優しそうな助役が対応してくれ、京急の快特の停車駅が分かるかということを聞かれた記憶がある。普段京急で通学していたので、当時は全く鉄道に詳しくも何ともなかったものの、快特停車駅くらいは大体答えて、では採用という話にトントン拍子に話は進んだ。
このとき、たまたまバイトの先輩も出勤していて、私はそもそも中学・高校時代を通して横浜創英中・高以外の外部の同年代の人と関わる機会が全くなかったので、全然違う高校に通うバイトの先輩や、4歳ほど年上の大学生のバイトの先輩とこのとき初めて話し、高校の同級生と話すのとはまた全然違う世界観で「ああ、高校の外にはこんな世界が広がっているのか」と少々戸惑いながらも自分の世界が広がったのを感じた。

2006年6月11日。この日が初の出勤日であった。恥ずかしながら、この日まで「駅バイト」というものが何をするものなのか全く分かっていなかった。鉄道ファンでも何でもないので、「駅員」という存在を意識したことがなかった。駅員といえば、確かに通学定期を買う際に駅の窓口で声をかけたことがあるな、とは思うものの、それ以上でもそれ以下でもない。普段何をしているかも知らない存在だった。
「駅バイト」というものが駅員を指すとは思っておらず、何か裏で書類の整理などでも行うのかと本気で思っていた。バイトの面接の際も、「駅バイト」が「駅員」を指すというのは当然知っている前提で面接をしていたようで、快特の停車駅こそ聞かれたものの、これは京急という会社を知っているかという意味での質問だと私はとらえてしまった。まさか乗客に案内できるかという意味の快特の停車駅の質問だったとは。
後にJRに就職した際も、「泊まり勤務だけど大丈夫か」など面接でしつこく聞かれたが、新卒採用の際も一般的な事務職をイメージして入社式の日まで駅員をやると分かっていなかったという人が一定数いるということだろう。
話は戻り初出勤当日。支給された制服に着替えると、指導してくれる先輩がいる。これから何をするのかと思ったら、駅の改札口に立てとのこと。えっ、改札口?裏で書類整理は?これから何をするの??
先輩「この駅は精算は大体が都営の泉岳寺からの精算だから。まずは泉岳寺からの運賃を覚えておくように」
私(泉岳寺からの精算?ここで何をするの?)「はい、分かりました」
しかし、この駅は利用者が少なく、改札に来る人は少ない。精算の乗客も大半は自動精算機を使っていく。精算機に2名ほど人が並んだ。
先輩「精算のお客さま、こちらへどうぞ~~」
私(えっ何してるんですか先輩、急に対応させられても困るって)
私「泉岳寺からの精算ですね、〇〇円です」
先輩「よし、精算は大丈夫そうだね」
こんな流れであった。JRの駅員となると営業規則が複雑すぎて精算一つとってもややこしいが、私鉄の駅員の精算となれば小学校レベルの引き算である。しかも機械に切符を入れれば自動で金額が出る。
こんな調子で、バイトの業務は改札での精算・回数券の払戻・道案内などで、バイトでもできる簡単な業務だった。社員ではないので、分からない内容は社員を呼べば良い。苦情を受けることも時々あったが、大抵はバイトが分かる範囲外なので社員を呼び対応してもらうということになっていたので、苦情で苦労するということもほとんどなかった。
バイト初日にこんなこともあった。
客「コウケンを下さい」
私「貢献?えっと、何に貢献すれば…」
先輩「ああ、硬券ですね。ハサミは入れますか?」
まだ当時は紙の乗車券である「硬券」と日付を入れる機械「ダッチング」と切符を切るハサミ「改札鋏」が残されていた。売り方を教えてもらって売ったものの、なぜこんなものが売っていて、買う人がいるのか分からなかった。
何とか初日のバイトを終える。そうすると、バイトの先輩とは別に、先輩社員が話しかけてくる。
先輩社員「今日から入ったんだっけ、よろしくね?君は鉄道好きなの?」
私「えっ、あんまりよく分からなくて、はい」
そもそも鉄道が好きとか嫌いとかを考えたことがない。電車じゃなくて「鉄道」という表現も普段は使わない。
先輩社員「高校生だよね?君も岩倉高校なの?」
私「岩倉高校ってなんですか?全然聞いたことがないのですが...」
先輩社員「えっ、知らないの?上野にある高校で、鉄道会社に就職したい人がいく高校だよ。今日君を教えてた先輩も岩倉生でしょ」

何も知らなかった私だが、やっと色々と理解した。
ここは駅員という仕事をするバイトの職場であること。
岩倉高校という高校があり、そこの生徒が就職へのステップとして駅員のバイトをすることが多いこと。
「鉄道好き」という趣味が存在し、岩倉の生徒は趣味としての鉄道を楽しみながら、鉄道会社への就職を目指しているということ。

そんな世界に何も知らない私が迷い込んでしまった。一体どうなってしまうのか?? 次回へ続く

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