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千葉篤胤の転生記_17~治承・寿永の乱

甲斐源氏は強かった。富士川へ着くまでに甲斐だけでなく駿河も落とし、自らの力で2国を平らげた。もうこの時点で平氏側の勝ち目はほぼなく更に鎌倉より源頼朝の大軍が迫っていることを加えることを考えると、平氏は数万という大軍を率いて富士川のほとり迄くるも甲斐源氏と川を挟んで対峙はしたが夜陰に乗じて撤退した。

平氏の富士川での撤退はただの負けではなく、今や平氏の世はないとうことを知らしめることになる負けでもあった。これより全国各地で挙兵や寺社の反乱は興るきっかけとなる。

源信義は甲斐・駿河・遠江と3国を制し、更に西へと進軍をしていく。一方、源頼朝は未だ平氏勢力が残る坂東での勢力拡大へ尽力することとなる。

そんな折、富士川での戦いから鎌倉へ戻る道中の頼朝軍へ弟なる人物の一行が訪ねてきた。名前は源義経。いままで奥州藤原氏の元で匿われていたとのことである。

その場には千葉一族も従軍しており、篤胤は胤頼の意識下にいた。

(胤頼、義経って僕の時代では凄い有名人だよ。だれでも知ってる人でこの時代で一番知られてる人さ)

(これから頼朝と兄弟共に力を合わせて平氏と戦くことを涙ながらにして誓うんだ。感動だよね)

(遥か未来になるとそういう物語として語り継がれるんだね。それはそれは皆感動するだろうよ)

(篤胤、でも僕はちょっと勘ぐりしたくなってね。このことは頼朝様には頭の痛い事なんじゃないかなと)

(まずはこの場にかっての源氏の棟梁であった義朝様の息子が2人いること。年こそ頼朝様の方が上だけど源氏の棟梁としての資格は義経様にもある。甲斐源氏を束ねる信義様が富士川までの圧倒的な勝利の連続があっても彼が源氏の棟梁にはなれないけど、義朝様の息子である義経様はあり得るんだ。僕らふくめて一兵もいない頼朝様に集まってきてるのは源氏の棟梁としての意味合いが大きいんだよ)

(あとは奥州藤原氏がずっと匿ってきたという事は義経様は奥州藤原氏、つまりは当主である藤原秀衡様が後ろについているという事を暗に示している。奥州は広大で力もあり平氏でも源氏でも朝廷でもない。どこにどう転ぶかわからないよ。そんな義経様とどうつきあっていくんだか)

しばらくして義経は頼朝の前に通され、千葉一族や主だった重鎮の前にして、涙ながらにして兄である頼朝にようやく会えたことを伝え、頼朝も同じで想いであると返したのち、二人は皆に向かい、兄弟ともに平氏を討ち倒そうぞと声高々に固く誓い合った。






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