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どんな言葉並べても

君を称えるには 足りないから

今回のイベント関西コミティア70では、新刊として「はなむけ」というタイトルの本を出した。
この話は現在連載中の「cobalt」の前日譚にあたるエピソードとして構想があったが、「cobalt」では触れる機会がないため、イベントに際して描き下ろすことにした。
作中では主人公の小水葱(こなぎ)と片想い相手である由里香(ゆりか)の三度にわたる決別を描いている。

…この物語は、実は作者自身の決別の意味も込めている。
出来上がった漫画に対してああだこうだと解説をするのは好まないが、今回ばかりは話させてほしい。

「親友」がいた話

小学校高学年の時、初めて一緒のクラスになった友達がいた。
仲良くなったきっかけはあまり覚えていない。だけど背が高くて、字が綺麗で、いつも真面目だった。

中学に入るとまた同じクラスになれたのもあり、仲はさらに深まったように思う。
私に色々なことを教えてくれた。
両親が音楽好きだったのもあったのか、私の知らない音楽をたくさん教えてくれて、CDもよく貸してくれた。

「はなむけ」の中に出てくる、「春の風は 背中を押してくれる風」という話も、その「親友」が教えてくれたことだ。
冬のうちは向かい風だったのが「ほら、」と背中を押してくれる風になり、それが春になった合図なのだと。
その話を初めて聞いた時、私は感動して母親にその話を教えた。
母親はどうせ何かの受け売りだろうと大して相手にもしてくれなかった。

他にも色々なことを教えてくれ、それらを知るたびに私は深く感銘して、その度に母親に教えたものだけど、結局一笑に付されるばかりで悔しかったのを覚えている。
しかし、今なら言語化できる。
たとえ本当は何かの受け売りだったとしても、それを心に留め置くことが出来る能力と器量の寛さに、「親友」は長けていたのだ。

一緒だったのは中学までで、高校からは学校が離れる。
しかし、それなりに連絡を取り合って会って遊んだりもした。
そういえば、私を初めてカラオケに連れ出してくれたのも「親友」だった。
しかし「親友」は、高校2年生から3年生の時期にうつ病になってしまった。

私は必死で考えた。
「死にたい」とメールが来るたびにどうすれば「親友」が死なずに済むのかを。
今の職業を志したのも、このことがきっかけだった。

「親友」は伝えてくれた。
「おまえは、どん底から這い上がるエネルギーがすごいね」。
「情熱の赤と冷静の青が混ざり合った紫が、おまえの色なんだね」。
私は、嬉しかった。
だから、どうしても君に死んでほしくなかったんだ。

「親友」との別れ

結局「親友」は1年遅れで無事大学生になれた。
嬉しくて、共に手を握り合ったのを覚えている。
大学1年生の夏休みに、「親友」は早速海外留学に出かけた。
最後に会った時、「親友」は海外留学で得たお土産を私にくれて、笑顔で色んなエピソードを話してくれた。
かつて本当にうつ病だったのだろうか、というくらい軽快したように見えた。
それじゃあまた会おう、と改札口で互いに手を振った。
それが「親友」の姿を見た最後になった。

その後、成人式後の同窓会で会う予定だったが大雪のため私は参加を見送った(歳がばれそう)。
3月頃になって久しぶりに会おうよといった旨のメールを送ったが、思いのほか冷たい文面で断られてしまった。
何だろう、と思ったがどうすることも出来ず、5月になって「親友」の誕生日が来たためお祝いのメールを送った。
しかし。

宛先不明でメールが送り返されてきた。

あの時背筋が凍るような悲しみとともに、私の時間も凍ってしまったように思う。
君は一体、どこに行ってしまったのか。私にもうつながらないメールアドレスだけ残して、君は消えてしまった。
後から別の友達(中学時代の同級生)に聞いたところ、どうもまた海外留学に行ったらしいとのこと。
何も知らせてくれずに、君は消えてしまった。

それからずっと、君からの連絡はない。

「親友」との決別

あれから私は、君とのことをずっと反芻しながら生きてきた。
君と一緒に遊びに行った街、君が教えてくれた歌の意味、君が大好きだった映画。
君が好きだった人を重ね合わせて泣いていた歌を聞きながら、君のことを思って何度も泣いた。
君は何度も私の夢に出てきた。
最後に出てきた時は、君は結婚指輪をしていて、ああもうそんなに時間が経ってしまったのかと夢の中ですら愕然とした。

以前ツイッターで、どの夜が別れだったのか分からずに未だに手を振り続けている、といった短歌を見つけて深く共感した。
私も同じだ。
一体どの時点が君との別れだったのか。
私は、いつ、何をどうしたらよかったのか。
何を言えばよかった?何が悪かった?
何も分からず、ただ輪郭のない後悔を抱えながら、私は今も二十歳のまま駅の改札口で君に手を振り続けている。

そんな日々を、もう止めようと思った。
せっかくcobaltに際して、短編を描けることになったのだ。
cobaltが人生の総決算なら、この短編もそうあって然るべきだ。
それなら、私の心や感性を作ってくれた、人生で唯一「親友」だと思えた、君との決別をテーマに織り込もう。
一種の喪の作業としての作品作りが、始まった。

そんな中で、気づいたことがある。
「はなむけ」主人公の小水葱は、パーソナリティのベースが由里香への想いで出来ている部分があり、結局由里香を想い続けることでしか自我を保てないある意味空っぽの人間である。
でも、それは私も同じだった。
うつ病になってしまった君をきっかけにしてがむしゃらに走ってきたけど、結局肝心の君を喪ってしまったら人生の軸が何もなくなってしまった。
私は、空っぽの人間だ…。

かつての「親友」へ

でも、君は言ってくれたね。
「どん底から這い上がるエネルギーがすごい」と。
そんなことを言ってくれたのは、後にも先にも君だけだった。
だからこそ、死んでほしくなかった。喪いたくなかった。
だけど、もう二度と会わないなら、お互いに死んでしまったも同然だろう。

それなら、もう私は君に手を振るのをやめて、改札からホームに向かうことにしよう。
このホームから出る電車がどこに行くのかはわからない。
だけど何もかもきっと「君」を振り切ったここから始まるのだ。

もう二度と、君が私を思い出さなくても、私は君を想い続けるだろう。
もう二度と、君と会えなくても、私は君を親友だと思い続けるだろう。
車窓から見える景色を見ながら、君の幸せを祈るだろう。

だから、はなむけ代わりに今日は贈ろう。
涙色の花束を君に。

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