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包丁の思い出。

すっ、と包丁を入れて一枚、また一枚と包丁をスライドさせる速度をはやめていく。均等な厚みに切れていくキュウリを眺めながら、野菜を切るのが随分と上手になったなと我ながら思う。先日、某料理教室にて包丁の使い方を学んだ。先生が言う「押して切る」のフォームは、いつもの自分のフォームだったことを知り、ニヤっとする。私のさらなる自信となったのは言うまでもない。

野菜を切りながら夢中になる時、未だに思い出すことがある。家庭科の授業でやったキュウリの小口切りテストだ。

技術の時間にノコギリさばきを褒められた私は、もちろんそれなりに包丁も使いこなせるつもりでいた。実際に、家でも母や祖母の手伝いをしながら包丁を使っていたので、テストも余裕だとタカをくくっていた。

当日、まな板に置かれたキュウリを前にして、好きな男子を横目にして、魔が差した私は何だかすごくいいところを見せたくなった…!直前になって早切りしてやろうと思い立つのだった。まあ、だけどそんなの大体上手くいくわけないんですよね。練習もせずに、そんなことできるわけがない。案の定、すぱぱぱぱーんっ!と数秒でキュウリが刻まれると同時に「ぎゃはははー!ちょっと雑すぎー!」と聞こえる先生の笑い声。こんなはずじゃなかったのに、覆水盆に返らず的にコロコロ自由な方向へ転がる厚さ1センチくらいのキュウリたち。とにかく勢いだけは間違いなくナンバーワンだったけど、「キュウリ転がりすぎだからwww」と無残に儚く散った私であった。どうして、あんなつまらない見栄をはり、やったこともない早切りに挑戦してしまったのだろう。そのあと好きな男子の番がやってきて、超慎重に薄切りして先生に褒められていた。ていうか大体の生徒が無難に事をこなしていた。まあ、そうだよな。自分の後先考えないところ嫌い。ばかばか。今でも思い出す先生の高笑い…。包丁とセットになった切ない思い出。とにかく、私が包丁の扱いに燃えたのは、それからだった。

自己流で研究を続けて、大学寮で自炊を重ね、私の包丁使いはそれなりのサマになっていた。そんなある時、実家に帰って野菜を切っていたら、父は立ち止まり、私の包丁を奪った。そして言うのだ。「押して切るんや」と。今となってはどうやって切っていたのかわからないが、私は人の包丁使いを見よう見まねで引いて野菜を切っていた。それが正しい切り方だと思い込んでいた。だから、悔しかった。父なんかに指摘されてしまった自分が。だけど、父のいないところでこっそり刻んでみたら、切りやすいのだそれが。だんだん慣れてきたら切れるのだ、かっこよくスムーズに切れてしまうのだ…!オーマイガ!

そういうわけで、私はしれっと自分の癖を矯正して今日に至る。正しい切り方を知ると、どんどん野菜を切りたくなって、そしたらどんどん野菜を切るのが上達した。そして某料理教室にて、改めて包丁の使い方を習い、ますます自分の技術に自信を持った。だけどひとつだけ先生のフォームと違った部分がある。それは包丁の柄に添える親指の位置。「それでもいいです」と言われると、ものすごい妥協のように感じてこれまた悔しいと思う性分な私は親指の位置を矯正しながら、今日もまた野菜を千切りする。


2018年07月08日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。