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ランドスケイプ。

いつもの通り道、私の大好きなサルスベリが咲いていた。あんなに可愛く咲くのにサルスベリって呼ばれるギャップが愛くるしい。照れ隠しするみたいに枝をくねらせてるところがいかにも捻くれ者っぽくてよい。大雨があがった日は朝からセミが大きな声で鳴き始めて、あっという間に夏が来た。

いつもの通り道、京橋の中洲には、真っ黒なサギたちと渡るタイミングを逃してしまったのであろうカモちゃんがいつもいる。等間隔で羽を広げて乾かしていて、それを眺めるのが好きだ。カモちゃんは座ってぼーっとしてたり、川に潜って魚を捕ったり。ただ一緒にいるいつもの風景。だけど雨が止んだら、中洲には何もいなくなっていた。

暮らしている場所が水害ですごいことになった。晴れの国にツケが回ってきたかのように、一晩のうちに色んなことが起きた。私はすっかり平常モードだけど、楽しみにしていた予定が延期になったり、だから実家にでも帰ろうと思ったり、だけど電車は通行止めで、あらあらと思っていたら、コジマさんからたくさんの夏野菜をもらう。朝採ったばかりのトマトは青臭くて生ぬるくて、夏の味。せっかくの野菜を無駄にしないよう明日は色々作ってみることにしよう。

変わらない日々を過ごしながら、大きな社会は動く歩道みたいだなあと考える。いつもはスイスイでいいんだけど、こんな時、急には止まってくれないから戸惑うんだよな。仕事もあるし、家族のことも気にはなるけど、生活は続いていく。働かないと食っていけない。誰も私を待ってはくれないのだ。動く歩道は速度を変えないし、歩く方向を変えてもくれない。

私はいつも通りだ。できることと言えば、美味しいご飯を作って、頑張る人の帰りを待ってみるくらい。話を聞いてみるくらい。特別、しょうがないなと思うこともなく、自分のふがいなさを感じることもなく、いつも通り。

大雨から一週間、京橋の中洲にはいつものメンバーが戻ってきている。変わらず羽をのんびり乾かしているから呑気だなあって思うけど、元気でよかった。さすが野生、たくましさを備えている。いつも通りの風景を作ってくれる彼らをみると最高にクールで、自分の歩く道くらいきちんと整備できる力は蓄えておこう、と決意めいたものが芽生えたりするのだ。

2018年07月15日


「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。