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まさみになりたい。

大学生になった春にオープンしたなんばパークスへ、山本のおばちゃんと買い物へ行った時のことを今でもはっきり覚えている。自分が長澤まさみに似ていると初めて自覚したからだ。私は、おばちゃんから和歌山弁で「しょうこちゃんさあ、あのセカチューの子と似てるってゆわれへん?」と尋ねられた時、「初めて言われた〜」とまあ実際のところ初めて言われたのだけれど、謙遜しながらも確かな快感を得た。「そうか、私はまさみに似てるのか!」

それからというもの、私の生活にはいつもまさみがいた。バイト先の更衣室で髪をまとめながら「あ!今の私まさみっぽい!」とひとりで何度も鏡を確認することもあった。「芸能人の誰かに似てるって言われない?」と聞かれて「あー、誰だろう」と答えながらも「長澤まさみだよ」と心の中でつぶやいていたし、全然違う答えが出ると「いや、まさみだよ!」と心のツッコミを顔に出さないよう必死だった。

まさみを見るたび、私はいつも誇らしかった。勝手に愛着が湧き、まさみの活躍をこっそり応援していた。だけど、世間のまさみに対する評価はなぜかいつもとても世知辛い。あんなパーフェクトボディと美貌を持ち合わせているのに劣化だの演技が下手だの、いつも散々なのである。ラストフレンズの時など目も当てられない。そのたび私は自分のことのように胸が痛くなった。

だから、私は皆に問いたい。サンボマスターの「ラブソング」ではしゃいでいる、女神のようなまさみの存在を知っていますか?あれほどまでにやんちゃで愛おしい仕草、一体まさみ以外の誰ができるというのだろうか…。確かに丸顔のせいか、まさみは角度によってアンパンマンのようなイモくさい表情になることがある。だけど、それも含めて私にとっては親近感だったのだ。

そんな中、モテキが噴いた。私はモテキでのまさみの活躍が嬉しかった。しかし、それもつかの間、真田丸のきり役で大炎上することになる…。もはや、きりと呼ばれるようになった今、私にとってもこれは由々しき事態だった。だけど、まさみはそんな逆境の中できりを演じきった。私は49話を涙なしで観ることができなかったよ。

現在、コンフィデンスマンSPに出演しているが、相変わらず物議を醸している。だけど、私は思うのだ。あれほどまでに「長澤まさみ」を一貫しているまさみは、とてつもなくかっこいい。コメディエンヌに徹するまさみは、葛藤の海をぐいぐい泳ぎ切ろうとしている。私は、まさみの顔よりも、美脚よりも、豊満な胸より何よりも、そういうところでそっくりになりたいと思うのだ。やんちゃで愛おしいまさみに私はなりたい。私はもう、長澤まさみという人物が愛おしくして仕方ないのである。

2018年06月01日

「サウダーヂな夜」という変わったカフェバーで創刊された「週刊私自身」がいつの間にか私の代名詞。岡山でひっそりといつも自分のことばかり書いてます。