わたし

上智英文。大学生。物語論。ナラトロジー。哲学。小説書く。

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  • コロナの哲学

    新型コロナウイルスを経ての世界を哲学する話。日常と非日常のカオス。

最近の記事

コロナの哲学 1

デロゴが目を覚ますと、そこは「同じ」教室の景色であった。 「目を覚ます」と、目の前には異なる世界が広がっていた。「転生物語」。けど、転生しないこともあってもいいよね? コロナだって、俺らは、最初こそ世界の終わり感があったけど、日にちが経っていくにつれ、「普通」になる。なんだろうか。どんな「不条理」でさえ、「普通」になる。人間は、そこに、不安や恐怖を覚えなくなってしまう。なぜか。ディストピア小説は数多くあるが、それに書かれている「不条理」は「普通」となってしまう。享楽として

    • コロナの哲学 はじまり

      なかなか収束しなかったあの「パニック」。非日常が日常となった。あの時私たちは何を考えていたのだろうか。と、カッコつけたことをドロウは口にした。 ドロウは事あるたびに毎回名言こいたものを言う。なぜ、こんな事を言うのか。ドロウの友人であるデロゴは、そんな事を考えながら、寛大にそのセリフを受け止めた。理由までは考えられなかった。 キン コーン カーン コーン。チャイムが鳴り響く。ドロウは無言。 早く席につかないと!古びた鉄と床が擦れる鈍音、靴と床が反発し合う音、焦り声、そのよ

      • 存在する主体

        「存在」とは?「主体」とは? 主体と存在は、どのような関係があるのでしょうか。 「主体」は、「主」と「体」で「おもなる」「からだ」で構成されています。そして「存在」は、「存る(ある)」「在る(ある)」、という2つの「ある」で「あらわされて」います。 いったい何が「あり」「ある」のか。何が「あって」「ある」のか。という疑問が頭のなかに浮かびます。 「表現」され、あるいは「表現」し、「主体」となり、「存在」する。 前回の記事『表現する主体』と同様に考えると、、、 「現

        • 表現する主体

          「表現する」、、、? 表現は、「表れる(あらわれる)」「現れる(あらわれる)」、という2つの「あらわれる」で「あらわされ」ています。 そして、「表(おもて)」に「現れる(あらわれる)」、と考えると、、、。 「現れる」「表われる」 何が「あらわれ」るのか? 「あらわれ」て、その先は? 「現れる」のが先か、「表われる」が先か。 「現れ」て「表す」のか。 それか、、、 「表す」ために「現れる」のか このような、疑問が「わたし」のなかに漂っているのです。 そうい

        コロナの哲学 1

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        • コロナの哲学
          2本

        記事

          「私は」

          私は、歩く時はいつも見上げながら歩く。産まれた時からそうなのだ。私は、食べる時も、寝る時も、見上げながら。いつでも上を向いて歩いている。 ある日、私は空の見えない場所を探そうと、旅に出ようとした。なぜなら「空」があるせいで上を見上げている、と考えたからだ。だが私は、上は見えるが前が見えない。知っている場所でなければ、歩くことができない。当然のように、下にある障害が見えない。私は、この窮屈さから逃れたい。だから私は「空」の見えない場所へ行きたいのだ。 私は決意して、旅に出る

          「私は」

          はじめまして。

           いつも頭の中に、組み合わさられることを待っているパズルのピースのように、アイデアの片鱗が彷徨っているのです。そのピースをいつかまとめあげて表現したい、私が表現する主体としての役割を担いたい、と日常生活を過ごしているうちにも、その燦燦とする太陽の光を反射する海のように、ギラギラとその眩しさが増していったのです。その眩しさに耐えられなくなり、このような形で書き記すことに至った。  名前は、まだありません。「私」が確立されていないのです。「私」もピースのようにまとまりがないので

          はじめまして。