【第1回 勉】少し抜けてる良いヤツだった僕の友達に「境界知能」という名前がついた
はじめまして。勉です。突然ですが、僕には小学校から仲良くしている幼馴染がいます。家族ぐるみの付き合いなので、違う高校に通うようになった今でも彼は僕の家に頻繁に遊びに来ています。抜けてるところもあるし、些細なことで口論になることもあるけれど、まあ憎めない良いやつです。大体はゲームしたり、漫画読んだり、くだらないことを喋ったりしているんですが、彼はあまり勉強が得意じゃないみたいなので、テスト前は僕が勉強を教えたりもしていました。
最近、「ケーキの切れない非行少年たち」という新潮社から出されている新書を読みました。書店でよく平積みになっているのを見かけて気になっていたので、特に何も考えず手に取りました。僕は読んだことを本当に後悔して、読まなければよかった、と思いました。
そこには、非行少年といわれる人たちは軽度の知的障害や発達障害、境界知能の人が多い、ということが書かれていました。僕は、境界知能、という言葉をここで初めて知ったんです。様々な特徴があってみんなと一緒に授業を受けたり一緒に何かをすることが苦手な人たちが、障害を持っていることが多いのは、これまでの経験からなんとなく分かってはいました。でも、ここで「境界知能」と呼ばれている人の特徴は、学校でみんなと一緒に問題なく授業を受けていたはずの僕の幼馴染にまんま当てはまっていたのです。
例えば計算が出来ないとか、簡単な図形を写せないとかがそうでした。僕の幼馴染は、1mが100cmなことは分かっているのに、100㎝が1mなことが分からなかったり、10mが1000㎝なことが分からなかったりします。かけ算や足し算も時々すごく間違えるし、「まずはこれと同じように書いてみて」と言っても自分で大幅な改変を加えてしまったりするんです。
あとは体の使い方が上手くない、という特徴にも覚えがありました。彼はよく手に持っているものを落としてしまうし、しょっちゅう身体のどこかをそこら中にぶつけて痣を作っています。
感情の統制が出来ない、というのも。彼は僕には不可解なことで怒っていることがあって、最近も「ムカついたから叩いてしまって喧嘩になった。それからあいつとは喋ってない」というような話を聞いたばかりでした。
僕はいつも、勉強が出来ない彼に「やる気だして!」「もっと集中して!」と、「どうしてそんなことで怒ったの」と言ってしまったりしていたんです。でも、僕はどうも間違っていたらしい、と思いました。この本を読んで、「彼は境界知能と呼ばれるハンデを持っていて、元々認知機能というものが人よりも低いため、適切な対応をしなくてはいけない」のだと知ってしまいました。気が短くて、ちょっと抜けてて、あんまり勉強が得意じゃない僕の幼馴染は、僕の中で「境界知能」になってしまいました。
それが本当に本当に辛くて、なんだかうまく言えないけれどモヤモヤしたし、苦しかったです。今思えば彼以外にも「境界知能」の子が小中学校の時まわりにたくさんいたような気がして。なんだか世界を見るフィルターが新しくなってしまったような感じがしました。
彼は本当は境界知能、ではないのかもしれないけれど、彼の特徴は本で紹介されているそのままでした。実際彼は勉強が出来ずに困っていたし、僕は助けてあげたいと思って「境界知能 対応」とか「認知機能 向上」とかで調べていました。いろんな方法が出てきたのですが、彼にそこで出てきた方法を適用するのは、なんだかとても失礼な気がして、結局一つも実践できませんでした。
つい最近まで、境界知能のことをずっと調べていました。ただ、先日読んだ本が僕に別な観点を与えてくれました。それは講談社で出している「現代思想入門」という新書で、そこには「脱構築」という概念が説明されていました。そこで書かれていたことを、僕はうまく自分の言葉でまだ落とし込めていないので、引用させてもらいます。
僕がモヤモヤしていたこと、が言語化されていて、少しだけホッとしました。ただ、僕がじゃあどうすればいいのか、は何もまだ明確になっていません。未だに僕がするべきことは分からないです。僕はただ幼馴染に、幸せになってほしいと思っているだけなので、彼が幸せならマジョリティに合わせるのでも、そうじゃなくても、かまわないとは思っています。
社会科の先生が「障害学」という分野を教えてくれて、ここにヒントがあるのかは分かりませんが、今後少しずつ勉強していこうと決めました。難しいです。どんどん底なし沼みたいなものにはまっていきそうで怖いです、が、頑張ります。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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