コテイガイネンってざんねんだ。
ある日、ポストに黄色紙が入っていた。幸せの黄色いなんちゃらかんちゃらだったら幸せ幸せハッピー(ふわちゃんくらいテンション高く読んでね笑)けれど、真逆だった。(がーん。)
その黄色紙には幸せのしの字もない。
結核の検査を受けてくださいと書かれていた。
もう、人に移すことはないから普通に過ごしていいと。
け、けっかく。majika。
合わせて病院予約一覧が入っていて、予約の電話が必要らしい。majinanone?
早速電話。(置いとくと忘れちゃう。こういうの早く終わらせて安心したいタイプ)
📞「すみません、結核の検査を受けなくてはいけなくて一覧をみてお電話させていただいたんですが。」
💁♀️「あ、検査ですね。採血ですね!」
📞「はい。」
(紙にかいてあったからさ、ワカッテタヨデモネ。
採血、、、はー、採血。(めっちゃ嫌いまじで。)ま、いいわ。)
📞(一応車椅子って言っとこ。レントゲンもあるかもって書いてあるし。たまにバリアフリーじゃないとこもあるし。)
「ちなみに車椅子使用してて。もしレントゲン撮る時ちょっとお手伝いしていただきたいです。」
💁♀️「採血だけなので大丈夫です。え、車椅子?付き添いの方は…?」
📞「付き添いはいないです。1人で行きます。」
💁♀️「そうですか…(びっくり戸惑い的な)わかりました。」
これ正直、車椅子あるある。
え、
普通に考えて26歳でただの採血で付き添いする人の方が少なくない?笑
今みたいなことがあった時、
その度に決まり文句のように頭に浮かんでくる
言葉がある。
わたしはいつまでそう言われるのか。
時々、悔しく、悲しくなるのも事実。
悪気がないのもわかる。心配して言ったのかもしれない。そのお姉さんも悪い人だなんて思わない。
でもなんか、、わたしは、そんなとき得体の知れないモヤモヤを感じる。
例えるなら、道端で風船をもらうような年齢でもないのに、渡されちゃった。みたいな感覚に近いように思う。(想像して。想像 笑)
誰も悪くない、風船を渡したその人はhappyにするつもりで相手に渡した。それがhappyどころかunhappyなんて。
これほど勿体無いことはないよなと思う。
だからこそこうやってちょっとでもみんなに日常を覗いてもらうのも大切だなと思う。
車椅子だって、一人暮らしはするし、病院だって一人で行く時もあるねん笑
例えば具合が悪い、とか急なことで困った。
でも家族が近くにいない。そういう経験がある一人暮らしの人なんてたくさんいるよな??そういう時、みんな困ったらどうする??誰に頼る?
1人でなんとかするとか、友達かもしれないし、たまたま居合わせた人かもしれない。時に救急車かもしれないし、公的な機関を頼るかもしれない。
色々試行錯誤するよな?
この出来事や日常の色々な瞬間に、
障害者だから誰か常にいる。守られるべき存在みたいな意識や固定概念が社会の中にまだまだあるんだなぁと実感することがある。そうじゃなくて1人の人間であって、障害者である前に個人である。っていうことがいつかいつか当たり前になりますように。
そうだよね!って思ったら🤍お願いしますっ😊
最後まで読んでくれてありがとう💐
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