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生きやすい思考④

 こんにちはっ皆さんどうお過ごしですか?他人は自分がイメージした人に過ぎないということについて書いていきたいと思います😊

例え話

ある1人の絵描きがいました。
その人はキャンパスにある日、美しい女性を書きました。そしてこう言います。

「あぁ、美しい、素敵なんだろう」

その日からその絵を一時も離しません。
周りからなんと言われようが、その絵の虜。

また、ある1人の絵描きはキャンパスに鬼を描きました。そしてこう言います。

「怖い怖い。殺される。」

何十年後も、その絵を見るたびに怯えます。

この例えから分かること 


 自分が見ている他人は、自分が想像している人に過ぎないということです。

 人は環境や様々な要因によって変化します。ある優しい人が何十年後には犯罪者になることだってあるし、またどんだけ恐かった人でもなにかのタイミングで善人になってる可能性もあります。

 私は、トラウマな人が3人います。1人は私の存在なんて忘れていることでしょう。だけど私は未だにその事を思い出すたびに怒り、その人を思い出すだけで苦しくなります。その時に苦しみを作り出しているのは自分自身だということに気づきました。怒っているのは中学生の私。今の私ではありません。また怒りを向けられてる当事者も10年前の人であって、今現在の人ではない。今私にできることは、中学生だった私の心に寄り添い、苦しみを手放すこと。時間は流れ続けているということを理解することが大切です。

 2人は身近な人です。その1人に半年ぶりに会うとなったら、怖くて泣きじゃくりました。自分でも理解できない程、心が怯えます。ですが、会ってみたら拍子抜け。怒られると思っていたのと反転、心配までしてくれる。

 また、もう1人とも今日再会しました。その人は、私のキャンパスではまさしく鬼です。ですが、昨日の拍子抜けの件があったので一回今まで作ってきたその人をイメージするキャンパスを破り捨て、長い間話すと、その相手が伝えたい事がすんなりと心に響きました。今までは恨みと憎しみでいっぱいだった私の心でしたが、その人の愛情に気づくことができたのです。

 私自身の思考や視界は自分が作り出しているからこそ、苦しみも自分が作り出します。一回立ち止まって、私はキャンパスにどんな相手を描いているだろうか?私自身が変わり続けているように、相手も変わり続けている。それを理解するだけで生きやすくなると思います。



例え話


地元の道を案内する時に地図を見ずにすらすらと案内できるでしょう

ですが、聞いた相手はそれをそのまま理解する事ができるでしょうか?

おんぶ抱っこで運ぶわけには行きません。
自分自身の足で歩まなければいけません。

 私はこれまで4つのブログに分けて思考について書きました。それは、知恵になります。知っているだけで生きやすくはなりますが、このように実践して自分自身で実感していかなければならないと改めて私自身そう思います。

 こんな思考について書いている私ですが、私は全然まだまだです。見返りを求めてしまうし、感情に左右され周りに迷惑をかけてしまう。

 日々続けることが全てだな、と思います。今の自分と歩み続ける。自分を攻めるのではなく、受け止める。そして、手を繋いでまた歩み続ける。

 また、怒りや恐怖に出逢ったとき、思考をコントロールしようそれも大切だと思いますが全てがそうとは思いません。相手に伝える事ももちろん大切です。私は私の世界、相手には相手の世界、それを伝え合わないとそれは本当に深いコミュニケーションには繋がらない。それを改めて感じます。

 私はつい、思考をコントロールしようと自分自身で解決しようという癖がありますが、我慢という苦しみを生み出すことに気づきました。

 我慢して感情を消す。そう私は伝えたいのではありません。それは、感情を押し殺すことを続けてしまうことです。そうしてしまうと、ずっと無理をしている状態になり、逆にストレスが生じてしまうのです。

 思考を豊かにして自分自身の世界を優しくしていく、だけど私達は1人では決して生きていけません。だからこそ怒りや悲しみが抑制できるというのは、怒ったからといって大声で暴言を吐いたり悲しいからといって泣き崩れて用件会話もできなくなったりしない、という意味です。コントロールするべきなのは言動の方なのかもしれません。

 「羞恥心」と「恐怖心」などから自分だけ我慢することが良いと捉えがちですが、我慢と自制は違うということを理解します。

 今日頂いた言葉。必死、必ず死ぬ。志に向かって必死に生きていこうと思います。今日も見てくれて有難う😊素敵な1日になりますように。







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