小屋を建てて暮らすという選択肢

いつものようにYouTubeを眺めていると、「仕事を辞めて自分で建てた小屋に住む若者が増えている」といった内容のニュース動画を見つけた。
https://youtu.be/FNhSeLSULvA?si=OJ-p8UdYEVO1XjsX

小屋は材料費だけで済むから家が安く確保出来て、井戸を設置して水道代も無料だそうだ。小屋暮らしの様子をYouTubeで配信して広告費で月4万稼いでおり、4万あれば生活していけるらしい。

この動画を見て色々感じることがあった。
仕事が嫌になった時に取れる選択肢は幾つかある。

  1. 実家で養ってもらう

  2. ヒモになる

  3. 生活保護を受ける

  4. FIREする

  5. 自給自足の生活をする

  6. 転職する

ざっくり分けるとこんなものか。他者に依存してるという意味で1、2、3は似ている。一時的にこれらに頼ることはあっても、自立したいという意志がある人にとってはずっと使えるオプションではない。4と5はどちらも仕事をせずに生きていくという意味で似ている。
僕は4を選んだわけだが、上の動画で紹介されてるのは5の人達だ。
自給自足というと食料を自分で手に入れるとこから始めることを呼ぶのかもしれないが、月4万というのは僕の中ではもう自給自足と呼んでいいレベルだ。

FIREというのは難易度が高く、すぐに出来るものではない。人によっては10年も20年もかかる。僕はいち早くリタイアしたいと思い、生活費を極限まで切り詰めた時期があった。食費は月7000円まで落とし、1万5000円のアパートに住み、髪は自分で切り、市民農園を借りて野菜を育てようとした(失敗に終わったが)。その時はどれだけ生活費を下げれるのかゲーム感覚で試してて楽しい一面もあったが、さすがにこれでは人と会ったりする金がない。この生活レベルでFIREしたところで、毎日悶々と考えるのは金が欲しいということだけだと思った。この生活を一生続けられる気がせず、支出を下げるより収入を上げる方に注力した。結果仕事が辛くなっても金を使って何とか自分のモチベーションを維持し、FIREまで漕ぎ着けることが出来た。

しかし、FIREするほどの蓄えはないけど、仕事がもう限界でこれ以上続けられないという人はいるだろう。そういう人にとって小屋生活というのはありだと思う。不便で質素な生活を強いられるよりも仕事の辛さが勝っていれば、やる価値はある。ずっとその生活を続けていく自信が無くても、一旦やってみて、1年後のことはその時考えるというスタンスでもいい。実際動画の人は小屋暮らしの様子をYouTubeで発信したのが収入に繋がったわけだから、新しいことを始めれば必ず進展はある。

僕がこういう選択を考える際には、経験値を大事にする。前も書いたが、AとBを比較する時に、Aしか知らなかったら比較のしようがない。今の生活と小屋暮らしで悩んだ場合、幾ら悩んだところでどちらが自分に向いているかという正確な答えは出ない。だったら実際に経験してみることで、比較材料を手に入れればいい。

マズローの欲求5段階説のパラドックス

小屋暮らしというのは、現代の日本人が当たり前のように享受してるものが手に入らない。人によってはトイレが無かったりエアコンが無かったり洗濯機が無かったりするだろう。蛇口をひねれば永遠と水が出るわけでもなく、どこかから水を確保しなければならない。キッチンも簡素で、水もただシンクに流せばいいというわけにいかない。そんな中四苦八苦しながら生きるというのは楽ではない。生きていくということに頭のエネルギーの大部分が使われるだろう。

このような生活は、マズローの欲求5段階説で言うところの一番下の段階である「生理的欲求」を満たす生活と言える。一番基本的な欲求しか満たされないのだから、それで満足することはなく、更に上の欲求を目指していく。それがマズローの欲求5段階説であり、それ自体は僕も正しいと思っている。

だがこれは僕の仮説だが、ある欲求を満たした時点では少なくとも人間は幸福を感じるから、毎日その状態が続けば、その段階の欲求を満たしてるだけで結構幸せなのではないかということだ。小屋でのサバイバル生活というのは、毎日生理的欲求を満たす為に奮闘しなければならない。だからお腹が満たされて寝る場所があるだけで、今日も良い日だったと思える。
高熱になると、とにかく熱が下がってくれと考える。それ以外のことはほとんど考えられなくなり、熱が下がると、発熱する前の状態に戻っただけなのに、とてつもない幸福感と安堵感を得る。それまで承認欲求だったり社会的欲求といった高い段階の欲求を満たそうとしていた人が、一番下の生理的欲求を満たしただけで幸福になるという現象が起きる。

仕事が辛いというのは生理的欲求よりも上の段階での欲求が満たされていないことになる。そこでずっと不幸な思いをするくらいなら、段階を一つ下げて幸せになればいいというわけだ。ゲームで言えば、レベル2の敵にずっと負け続けるくらいなら、レベル1の敵に勝つ方が楽しいということだ。そう考えると小屋暮らしは理にかなっている。ただ、前述した通り、小屋暮らしの辛さが仕事の辛さを上回っては意味がない。そして僕にとっては小屋暮らしというのはあまりにも辛すぎる。トイレはレバー1つで排泄物を魔法のように流してほしいし、シャワーからはちゃんとお湯が出てきてほしい。エアコンのスイッチを押したら部屋を適温に保ってほしい。トイレやシャワーといった日常的な行為をこれ以上難しくしたくない。

小屋暮らしと投資が組み合わさると最強になる

小屋暮らし生活の惜しいところと言えば、投資という観点が抜け落ちていることだろう。どれだけ頑張っても、必ずお金は必要になる。だから何かしらの仕事はしなければならない。バイトを週2日するだけで済むなら問題ないと思う人はいいが、僕は40歳になっても50歳になってもバイトをするような人生はゴメンだ。生活費が低いということは、FIREに必要な金額は普通の人よりも限りなく低くなる。小屋暮らしをするとなると都心部から離れるため、リモートでの仕事を確保出来ない限り、仕事をするのが難しくなる。投資なら必要なのはネット環境だけだし、時間が全然かからない。

FIREというのはトライアスロンのようなものである。支出を最小化し、収入を最大化し、投資のリターンを最大化する。3つの種目で平均以上のパフォーマンスを出さなければいけない。小屋暮らしや節約のプロのような人は、支出の最小化に長けている。そして経営者やハイキャリアの人達は収入を上げるのに長けている。そして投資家は言わずもがな投資のプロだ。小屋暮らしをするということは仕事はもううんざりという人だろうから、一旦収入の最大化は置いておくとしよう。残りの投資部分は、NISA枠内だけでも始めてみると、小屋暮らしが更に豊かになり、新たな視点が見えてくるだろう。


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