わたしはわたし、それは不変である
こんにちは!睡蓮です。
投稿を開いていただき、ありがとうございます。
ずっと考え続けていることについて言葉にして残しておこうという決心がついたので、今回は
🏳️🌈「わたしのセクシャリティ」
の概要のお話をします。
先に言っておくと、自分の思いのまま書くので本当に拙い文章になってしまいそうです。
どうぞよろしくお願いします。🌸
わたしの性自認と性表現
最初はわたしの性自認と性表現について!
過去に書いた自己紹介にもあるように、わたしのこころの性とからだの性は女性です。
女性として生まれてきたことに違和感は持たずに生きてきました。
だけど、ファッションなどといった自分を表すものは女性や男性という性別にとらわれたくない。
「◯性らしい、◯性らしく」と言われるのが好きではなく、その言葉にある種の加害性を感じてしまいます。
自分の着たい服を着て、自分のしたいヘアスタイルで何にもとらわれない表現の仕方をしたい。これがわたしの性表現のあり方です。
わたしの性的指向と恋愛指向
ここからはわたしの性的指向と恋愛指向について。
わたしは好きになるのに性別を前提としない、“好きになった人がタイプ”という人間です。
自己紹介のときもわたしは「パンセクシャル」です!と言ったり、プロフィールにもそう書いたりと、わたしはパンセクシャルであると自認してきました。
わたしがパンセクシャルと自認したのはインターネットで自分の恋愛観について調べてみて、これだ!と思ったのがパンセクシャルだったから。
今までセクシャリティ診断は受けたことがありませんでした。
今回noteに自分のセクシャリティについて書き綴りたいと思い、受けてみよう!となり、セクシャリティ診断を受けてみました。
結果は性的指向→アセクシャル、恋愛指向→パンロマンティックでした。
(結果ではアセクシャルと出ましたが、色々調べていくとわたしは恋愛感情があり、性的な欲求がないノンセクシャルに当てはまりそうです)
アセクシャル(ノンセクシャル)は新たな発見。自分の知識不足を痛感しました。
結果を受けて考えてみれば、わたしは性的なこと自体に嫌悪感があるというわけではないものの、自分が性的なことを誰かとするというのに肯定的な気持ちは持っていませんでした。
以前に付き合っていた人も同様に肯定的ではなかったのか興味がなかったのかわかりませんが、そういうことはせずに恋人としての時間を過ごしました。
それもあって、今までわたしにとっては自分の状態が当たり前で普遍的なものであったけれど、多くの人はそうではないのかと。
そう複雑に考えた反面、自分のあり方に近いものの存在が知れて輪郭がはっきりしたことに安堵しました。
結局わたしはわたし
自分のセクシャリティの概要はこんな感じです。
まだまだ書き残したいことはあるけれど、それはまた今度にします。
そもそもこうやってnoteにセクシャリティについて書きたいと思ったのは、まだ自分でも自分のことがわかりきっていなくて、あり方に名称をつけきることに迷いがあったからです。
パンセクシャル(正確にはパンロマンティックでしたが)という名称に関してはつけることができていたけれど、性表現や性的指向には漠然としたものしかみえていなかった。
名称はつけきれてない。でも、わたしのあり方はこうだと表したい。
そう思い、だからこそ、自分のあり方を言葉にして残しておきたいと思いました。
「結局わたしはわたし、それは不変である」
この先も漠然としたものしかみえなくても、自分のセクシャリティについて迷っても、悩んでも、わたしが持ち続けたい信念です。
その祈りを込めて、今回のタイトルをつけます。
本当にとても拙い文章になってしまいました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
また覗きにきていただけると嬉しいです。💐
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