見出し画像

休職中の専攻医、復職でなく退職を選んだ“最後の決め手”

 産業医・元産婦人科医・医療ジャーナリストの平野翔大です。

 専門医取得への道半ばでキャリアチェンジをした、専門医資格なし・学位なしの医師7年目ですが、臨床で気付いた課題を解決すべく、産業医・社会事業家・ヘルスケア事業のアドバイザー・医療ジャーナリストと幅広く活動しています。狙って進んだキャリアではなく、計画性もあれば偶発性もあったキャリアですが、今は充実した日々を過ごしています。

 2023年12月までは医師のキャリアイベント「医師100人カイギ」の司会も務めており、さまざまな先生のキャリアにも触れてきました。このたびの連載では「医師の臨床外でのキャリア」の一例として、私がどのようにキャリアを構築していったか、ご紹介させていただこうと思います。

 第1話2話では、そんな私が「どん底期」であった、卒後~メンタル不調を起こすまでについて振り返りました。やや暗いお話でしたが、第3話では、そこから将来を考えるにあたり、「(1)自分の原因の不調」「(2)今後やりたいこと」をどう考えたかをご紹介させていただきました。

 今回は、そこから考えた「(3)臨床を離れる場合の前向きな理由」、そして臨床を離れる最後の決め手になったことを、振り返っていこうと思います。

「前向きな理由」を持って、臨床を離れる

 前回整理したように、キャリア・アンカーの問いと、メンタル不調の原因を考えると、自分の目指すべき方向が見えます。

 産婦人科を選んだ理由である、「医療の社会問題の解決」に向けて、自らのパフォーマンスを最大限に発揮し、他人と協働して進めていくこと。これこそが、私の目指したい方向性でした。
 確かに臨床現場においても、自分の興味は「組織」や「社会・制度」に向いていました。

 ある日の診療で、妊娠中期に仕事で重量物を継続的に運んでおり、切迫早産となった妊婦がいました。重量物が直接的な原因となったかは定かではありませんが、上司は「お腹が大きくなってから配慮すれば良い」と考えていたようです。

 現場としてはその方を入院させ、分娩延長を図ることが大事ですが、同時に「この上司が妊婦に対する適切な配慮を知り、このような事態を防ぐためにはどうしたらいいのか?」ということも考えていました。
 またCOVID-19の流行に伴い、父親が立会分娩をできなくなる、場合によっては妊娠中に隔離生活にすらなりかねない中で、「妊娠中に有事や産後について話し合うこと、その場所やきっかけ・資材が必要」ということも考えていました(この活動が現在の「男性育児支援活動」につながります)。

 あくまで産婦人科というキャリアの選択は、この目標に向けてのステップであり、ゴールではない。将来的な目標が「社会医学に携わる」ということであれば、今のキャリアチェンジも選択肢になります。生殖倫理は専門性が高い分野ですが、他分野の専門家も携わっています。社会医学であれば大学院などのキャリアもあります。

 将来の目指したい姿を考えたときに、「いま産婦人科臨床を続けること」は必須条件ではなく、「ここで一度、社会医学領域のキャリアを積むために離れる」という前向きな選択肢が出てきました。

 臨床を離れた一番の理由は心身の不調であり、回復のためにも一度離れたいと考えたのは確かです。ただ、その理由が「とりあえずつらいから」というネガティブなものに留まっているうちは、まだnext actionを起こすタイミングではなく、休む(=休職を続ける)べきだと考えていました。

 しかし、一度「こんなことを学び、手掛けてみたい」というポジティブな理由が見つかれば、そこに向けて動き出すことができます。退職する、臨床を離れることは大きな決断であるからこそ、きちんと次を見据えたうえで、「休むのではなく辞める」ことを決めました。

 この時、生殖倫理などはそれまでのキャリアとはテーマがかけ離れていたため、まず医療経済・経営や働き方改革に興味を持って進もうとしていました。今は少し違う分野に携わっていますが、「医療の社会問題に取り組む」というテーマはブレていません。この時に色々考えて良かったと考えています。

最後の決め手は、医師ならではの“武器”

 自分の中で振り返りや次のキャリアへの思考を進め、「常勤臨床医をやめる」という決断をする。その最後の決め手となったのは「制度上、専攻医過程には9年以内なら戻れる」ということでした。中断したら全てやり直し、ではなく、これまでの研修実績を保持した状態で中断できるのです。

 例えば一般企業であれば、「一度転職して、やっぱり違うとなったら戻ります」というのは非常に難しいと思います。しかし医師においては、一定の研修システムがあるため、この枠内であれば(制度上は)戻ることができます。

 もちろん、同期から見れば遅れたキャリアになるわけですが、「キャリアが完全に途絶する」ことはありません。これは大きな保険であり、「医師のキャリアは可逆的」とすら言えるのです。違う分野で数年働いてみて、「やはり産婦人科医として専門性を高めたい」となれば戻ることも可能なのです。

 この非常に大きな武器により、一度他の世界も見て、心から「産婦人科医として臨床を続けたい」と思えばそのタイミングで戻ろう、そう意を決することができました。

 当時は勤務先を休職している状態でしたので、まず勤務先の病院に対し、復職せず退職したい意向を伝えた後、医局にも専攻医研修を中断したいことを連絡。勤務先の部長との面接、医局長との面接をもって退職・専攻医研修の中断が決まり、最後に教授との面接をもって、臨床常勤医を離れることになりました。

クロージング

 少しキャリア論も引き合いに出しつつ、「臨床を続ける」以外の選択肢を導き出した過程をご紹介させていただきました。医師は狭い世界で臨床以外のキャリアが少ないと思われがちですが、よく考えるとむしろ多様なキャリアを取りやすい職種とも言えます。

 この時期は本当に毎日、色々なキャリア論や資格について考えていました。まだまだ完全回復には程遠い精神状態ではありましたが、それでもしっかり考えたことに大きな価値があったと感じています。

 次回は常勤を離れ、いわば「プータロー」になった状況をお話しします。「プータロー」も、社会保険料や税金、家賃に光熱費は容赦なく取られていきます。私は奨学金生だったので、その返済もあります。「ポジティブな目標」と書きはしましたが、現実には抗えません。お金を稼がなければ、生きていけないのです。

 そんな時、研修医時代に勉強していた「とある資格」が役に立ちました。
 次回はその資格と、再起のきっかけについて、ご紹介していきます。
 引き続きお読みいただけたら嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?