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「傷病手当ってこれだけ…?」無職の医師を襲う現実

産業医・元産婦人科医・医療ジャーナリストの平野翔大です。

 専門医取得への道半ばでキャリアチェンジをした、専門医資格なし・学位なしの医師6年目ですが、臨床で気付いた課題を解決すべく、産業医・社会事業家・ヘルスケア事業のアドバイザー・医療ジャーナリストと幅広く活動しています。狙って進んだキャリアではなく、計画性もあれば偶発性もあったキャリアですが、今は充実した日々を過ごしています。

 2023年12月までは医師のキャリアイベント「医師100人カイギ」の司会も務めており、さまざまな先生のキャリアにも触れてきました。このたびの連載では「医師の臨床外でのキャリア」の一例として、私がどのようにキャリアを構築していったか、ご紹介させていただこうと思います。

 第4話までは、「どん底期」から「臨床医・医局を離れる決断をするまで」を振り返りました。次の目標を定めたのはいいのですが、現実的には仕事をして稼がなければ生きていけません。今回はそこからのリアルな再起のお話をさせていただこうと思います。

医師の傷病手当って、たったこれだけ…?

 前回の最後に、医局長や教授との面談で臨床常勤医を離れ、勤務先を退職したことをご紹介しました。当然、常勤職を離れれば一切の仕事はなくなります。ここで現実問題として向き合わなくてはならなくなったのが「お金」の問題です。

 仕事をやめた後、一般的に生活を保つ手段としては、主には傷病手当金と雇用保険があります。しかしこれらの制度は「長い間同じ法人に勤める人」にはありがたい制度なのですが、特に大学を中心とした医局人事で雇用先がコロコロ変わる医師には、非常に厳しい制度なのを知ることになります。

 まずは休職中の有給休暇ですが、4月に医局人事で異動し、数ヶ月で休んでしまったため、その時の勤務先の有給はわずか数日。すぐになくなり、傷病欠勤(=無給)になりました。

 このときに頼れるのが傷病手当金なのですが、実はこれもシビアです。
 病院を異動すると健康保険も変わります。当時の私は4月から協会けんぽに加入していました。協会けんぽは「支給開始日以前の期間が12ヶ月以上」の場合、その期間の標準報酬月額(≒給与額)の3分の2が受給できますが、「支給開始日以前の期間が12ヶ月未満」の場合、自らの標準報酬月額の平均値、もしくは30万円の「低い方」が算定基準になります。

 市中病院の報酬は標準報酬月額30万円をさすがに超えますから、30万円を基準に計算されてしまい、支給された傷病手当は月額20万円。雇用保険も3ヶ月の待機期間がありますし、傷病手当の併給はできませんから、この支給までは傷病手当の20万で生活するしかありません

税金・保険料・奨学金だけで数万の赤字

 さらに追い打ちをかけたのは、地方から都会への異動であったため収入が大幅に下がったこと。にもかかわらず、前年度の高めの所得を基準に所得税・住民税が計算されているので、かなり高額の税金を納めなければなりません(※支払いが厳しい場合、納税猶予を申し立てることは可能です)。

 しかも私は奨学金生であったため、これの返還もありました。20万円の傷病手当金から税・奨学金に加え、社会保険料を払うと、その時点で数万の赤字。家賃や生活費は貯金を切り崩すしかありませんでした。

 月数十万の赤字を叩き出し、目減りしていく貯金残高にため息をつきながら、なんとか貯金の減り方を抑えようと必死にフリマアプリで色々売りさばいていました(ちなみに医学書は古本屋より遥かに高く売れるので、フリマアプリおすすめですよ!)。

 今もフリマアプリは使っていますが、基本的に売って得た売上はアプリ内での他の方が出品したものの購入に使っています。しかしあの時だけ、生活費の足しにするために「売上の口座への現金振込」という手段を使いました。振込回数ごとに手数料を取られるので、できるかぎり溜めてから振込手続きを取り、一気に口座残高が増えた時の安心感、今でも忘れていません。

とはいえ、医師で良かった…
――私を追い詰め、助けたのは

 当時計算すると、半年休むといよいよ貯金が底を尽きる、という状態でした。いつ自分の身に何が起きるかもわからないと思うと、正直「月20万円以上を稼げるなら、傷病手当の受給をやめてすぐに仕事をする」しかない状況でした(少しでも仕事をして報酬を得ると、その日から傷病手当の受給権は消滅します)。

 この時ほど、「医師で良かった」と思ったことはありません。実は研修医2年目の最後に始まったのがCOVID-19の流行。これは3年目の私を追い詰める1つの要因になりましたが、4年目の私を救ってくれました。3年目の終了間際に始まったのがコロナワクチンの接種、ちょうどこの時期、職域や住民での接種が進められていた時期で、接種を担う医師が不足していたのです。

 当時のわたしの肩書は「医師4年目、専門医なし」。いわゆる「ドロッポ医」です。そんな私でも職域接種の案件は担当させていただくことができ、数日のバイトで20万円を超えることができました。都会の案件から、かなり地方の泊まり込みの案件まで、体調と相談しながらも多数を受けました。

 ここまで数ヶ月休んでいた間に目減りした貯金額がみるみる回復し、安全圏に達した時には心から安心したのを覚えています。やはりお金は大事です。

クロージング

 今回は「年度途中で退職した若手医師」のリアルをご紹介しました。勤務医は時給単価こそ高いですが、その勤務形態から、意外と社会保障から漏れやすいというのは盲点だと思います。前回までは「キャリア論」について紹介していましたが、正直キャリアについて考える時間より、お金について考える時間のほうが長かったと思えるくらい、体調が回復するにつれお金に悩まされていたのを覚えています。

 次回はこの時に役に立った「ある資格」と、その資格を活用して取った行動をご紹介します(前回予告で「次回」と書きましたが、今回ご紹介しきれませんでした)。

 引き続き「ドロッポ若手医師のリアル」をお届けしますので、お読みいただけたら嬉しいです。

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