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ぶつかり稽古・気配



 人の気配には薄い濃いがあって、例えば関西スーパーの惣菜は食べられないけどコンビニの弁当は食べられるという人が居る。人の気配の少し薄いのは冷凍の宅食やスーパー玉出の惣菜に代表されていて、濃いものは弁当屋の弁当とかパン屋のパンだと思う。全然ないのがコンビニの弁当で、先のその人はちょっとだけ人の気配があるのが食べられないものなのだと思う。彼は人の気配が濃く残っているものが好きだと思ってしまう。この人の気配のことについて思い付くと、ライトな暮らしに穴があくような気持ちがした、ライトな暮らしというのはどこかにライトでない暮らしがあって満足してないみたいな表現だけれど、浮き沈みのあまりない暮らしはどこか物足りないと思うこの彼の感覚自体に問題があるのだと思う。十分に出来事がたくさんある。目の前のベランダから布団が落ちる。
 このあと酒を呑むからと生野の極楽湯に行った、肩は凝っていないから風呂上がりのあんま器はせずにすぐビールを呑もうと思いながら、貸しタオルと小さい石鹸で五百七十円。小さい子供が四人、ふたりとふたりで遊んでいて、ほっこりしたおじいの笑顔のなかで遊んでいるみたいだと思う、サウナのなかでは京都の、観光客で長蛇の列ができているバスのニュースを見ながら感嘆符! みたいなうなり声をあげている男性もいて、祝福されている気分。水風呂に潜るタイミング、顔を出すタイミング、声のタイミングがぴったり合ったおじいとは、顔を見合わせて笑って出た。
 脱衣場で彼に「にいちゃんの絵きれいやな」と言ってきたおじいは、さっき湯船に座って陰茎の皮を剥いていたおじいだった、おじいは九州から二十年前か五十年前かに大阪に出てきて「昔は俺もやんちゃだった」「町内ではちょっとした人物だった」「大阪に出たら殺されるとみんなに止められた」を計二回ずつ言った。また! すぐ! と手を振って、番台にビールを買いに待ち合いまで出た。ビールを買って呑むとスキンヘッドのおじいが「ええなあ」と言った。彼は「生き返りますわ」と言った。スキンは「ええなあ」ともう一度言い、「俺何年我慢してんねん」とひとりで言った、彼は綿棒くださいと言ってテレビの前に座った、さっきの続きで高級ブランドのスーパーコピー蔓延、このTシャツは定価八万円で、一万円で売られています、というニュース。彼も横のおばあも「ひゃあ」と言った。おばあは「八万円やて」。彼は「そんなことあんの」。おばあは「高いの買ってもそんな着いひんなあ。飾っとくだけ。こないだたっかいお気に入り売ったら百円やって。そんなんなあ。でも捨てんのもお金かかるしなあ。しょうないのよなあ」と言った、九州のおじいがちょうど出てきて、冗談をふたつみっつ言ってから歩行器を使って歩いて行った。テレビでは合成でイチローが三人出てくるCMが流れて、番頭は大きな声で彼に「これはどれも本物」と笑って言った。彼は心から満足した。
 1960年代のキリンビールのポスターに、女性の横顔の影が濃淡で三つ、どんどん薄くなっていく絵画調のがある。彼はこの濃淡の、一番薄いところを指差して、「ここです。大事なのは」と言った。「もしくはもっと、どんどん薄く。なくなるくらい」とも言ったが、彼の気配もどんどん薄くなっていったのでその声も全然形になっていなかった。深呼吸みたいな欠伸を途中でやめたのは、極楽湯に歯ブラシを忘れたから。忘れた歯ブラシに殆んど彼の気配があった。

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