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なぜ時間を測ることのできない砂時計をつくるのか

私は砂時計を扱う展示会を開きたいと、かねてから考えていた。

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時間を測ることのできない、いわば「用のない」砂時計──。一見無用の、不要のものに思えるだろう。でもあらかじめきまった用途がないからこそ、使い手ごとに豊かなコンテクストが生じることを期待したい。

数人にこの砂時計を渡す。時計には決まった使い方は定められていない。Inscriptus はラテン語で「書かれていない」を意味する。この時計を思い思いの方法で愉しんでもらいたい。自らのために所持しても、ギフトにしてもよい。

開かれた用途の

たとえば十人に渡したとしたら十人がそれぞれの「用」を考える。ひとつのプロダクトに十通りの取り扱い説明書が生まれる。そこで展示されるものはプロダクトではない。展示されるのは「用途」であり、その人物のライフストーリーそのものだ。特定の用途を持たないからこそ、人によってさまざまな愉しみ方のある「開かれた用途の」プロダクトとして機能する。用のないものづくりはむしろ、用が決められているものづくりよりも、社会彫刻において重要な意味を持つ。読み手が書き手よりも創造的な書き手となりうることを示す展示会になるとよい。

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デザインは特定の使い手と使い道を想定するものだ。「左利きの人用の工作用はさみ」は使い手も使い道も自明で、その通りに使われることが求められる。でもこれとは違ったアプローチの活動がデザインの一部として存在してもいいのではないか。デザイン自体の周縁を少し広げるような活動があってもいいのではないか。アートや日常生活の営みと接続するもの。ビジネスや社会彫刻と接続する試み。そういったデザインらしからぬデザインがあってもいいのではないか。

2019年10月27日(日)まで、銀座にある一冊だけの本を扱う書店、森岡書店にて、砂時計の小さな展示を行なっている。この展示では、砂時計を前に、レストランオーナー、写真家、情報学研究者、小説家の四組が発想した独自の用途を展示している。四組との対話の全文は書籍『コンテクストデザイン』に掲載されている。通常盤・特装版のふたつがあり、本展限定で販売する。

今日は、そもそもなぜ砂時計を選んだのかを少し言葉にしてみる(以下は『コンテクストデザイン』からの抜粋を含む)。

便利であること、快適であること

豆を挽くコーヒーミル、ろうそくの紐切りばさみ、雛飾り、ハロウィンのカボチャを彫るカーヴィングナイフ。どれも特定の時期や用途のためにあるものだ。活躍の場が限られていて、かさ張る。しかし(だからこそ?)不思議な愛着が沸くのかもしれない。無用の長物でもあり、大事でもあるもの。 ここには「便利」とは別の価値が働いている。

必ずしも便利でないものが意味を持つことがある。コーヒーミルやろうそくの紐切りばさみは、そういった「不便だけど快適なもの」の好例かもしれない。こういったものについて考えるために「Inscriptus」をつくった。Inscriptusは砂時計だ。時計といっても、時間を計るためのものではない。「時間を忘れるための時計」ということにしている。

私たちは日々、一分一秒のリズムで社会との足並みを揃える。待ちあわせや締め切りの慌ただしさのなかでも、夜遅く家に帰ったときに、もしくは一週間の終わりに眺める「時を忘れるための時計」があってもよい。Inscriptus は「空白の時間」をゆっくりと過ごすための舞台装置のようなものだ。

少しずつ落ちる砂を見つめていると、つい時間を忘れてしまう。時計という道具の本来の役割とは相反するそのような時間を過ごすことが、なにか言語化できない満ち足りた感情を生むように思える。一瞬一瞬、同じように落ちる砂粒のなかに、輝く石をひとつ見出せるような気持ちになる。

複数種類つくった Inscriptusのなかで、「指輪」を封じ込めた時計が、コンテクストデザインにおいて重要な意味を持つことになった。

母の時間・娘の時間

砂時計の上下のガラス室にひとつずつ、指輪が封じ込められている。上の部屋から砂が落ち少しずつ青い指輪があらわになると、下では赤い指輪が砂に埋もれて隠れていく。同時に両方を見ることはできない一対の石。それぞれスカラベ色と、イリゼ色と呼ばれている。スカラベは地を歩くタマオシコガネのことで、古代エジプトでは神聖視されていたそうだ。一方、イリゼは空に浮かぶ虹を意味する。時計を傾けるごとに「大地」と「空」が寄せては返し、地平線が反転する。

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指輪はある宝飾品の企業からご提供いただいた。その会社の広報部に勤める女性は完成した砂時計を見てすぐに言った。

「私には今年小学校に上がる娘がいます。私が使うなら、この時計を娘にプレゼントしたい。最近、彼女の個室をつくりました。毎晩寝る前に、今日学校であったことを聞くときに砂時計をひっくり返したい。大人になるまで時計を傾けて話をする。成人するときにガラスを壊して指輪を取り出して、ひとつずつ、ふたりで使ってみたいです」

用途のない道具としてつくった砂時計だったが、つくったそばから、デザイナーが思いもしなかったあらたな用途が生まれたのだった。それも完成品を最初に見た人がそれを見出した。

フランスのある幼稚園では、哲学の授業をはじめる前に必ずロウソクを灯すというが、女性の砂時計の使い方は、それに似た儀式の舞台装置になっている。母が娘の部屋のドアをノックする。窓際の砂時計の近くにふたりで腰を下ろす。どちらからともなく砂時計を傾ける。それは深呼吸のような空っぽの時間だ。生活のなかに、茶室的な余白の時間を見出すための道具ともいえるだろうか。用がないからこそ、用が生まれる。

砂時計の潜在的な使い手であるこの女性は、自ら解釈することで独自の用途を生み出した。それは読み手が解釈によって書き手になる瞬間。読み手が主体的にものに関わり、ストーリーを引き継いで編みはじめる瞬間だった。

一冊、一室。森岡書店にて

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先述のように、2019年10月27日(日)まで、銀座にある一冊だけの本を扱う書店、森岡書店にて、砂時計の小さな展示を行なっている。この展示では、砂時計を前に、レストランオーナー、写真家、情報学研究者、小説家の四組が発想した独自の用途を展示している。

このうち、情報学研究者ドミニクチェンさんとの対話の内容を特別にポッドキャストとして公開している。


お知らせです。この書籍の限定販売と展示の開催情報はこちらの通りです。

『コンテクストデザイン』限定販売と特別展示(終了しました)
・日時:2019年 〜10月27日(日)13:00-20:00
・場所:中央区銀座1-28-15鈴木ビル1階 森岡書店
・著者在廊:10/22(火)と10/26, 27(土・日)の一部

そして日曜日にはトークイベントがあります。

「森岡書店でコンテクストデザインを考える」渡邉康太郎と森岡督行(終了しました)

・10/27(日)17:30開場、18:00開演
・定員60名(先着順)
・入場料1,500円
・要予約です。森岡書店宛にお電話ください( 03-3535-5020)

奮ってご参加ください!

記事執筆は、周囲の人との対話に支えられています。いまの世の中のあたりまえに対する小さな違和感を、なかったことにせずに、少しずつ言葉にしながら語り合うなかで、考えがおぼろげな像を結ぶ。皆社会を誤読し行動に移す仲間です。ありがとうございます。