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高藤選手の勝ち方、スッキリしないと思った人に読んでほしい。「リオの悔しさからの5年」とテレビのアナウンサーは繰り返すが、そんな簡単なことじゃない。

 高藤の勝ち方、スッキリしないなと思った人はたくさんいると思う。「リオから五年、悔しさを乗り越えて」とテレビではアナウンサーが繰り返した。いや、そんな浅い、簡単な話じゃない。


 リオで負ける前の高藤は、スッキリどころではない、世界中の柔道家がビックリするような、見たこともないような技で、世界選手権やグランドスラムに勝ちまくる、圧倒的天才、あのときすでに世界一の選手だった。


 小学生からリオで銅メダルに終わるまで、ずっとそういう柔道だった。世界選手権で何度か負けたこともあるけれど、それも、技が切れすぎる選手のポカ、審判がきれいに回り過ぎる技を取ってくれない、そういうことの連続で負けただけだった。自分の柔道への反省はあまりしない選手だった。天才といえば、高藤のことだったのだ。


 そういう無敵・無双状態で臨んだリオで銅メダルに終わった。


 その後、国内で、永山竜樹という後輩・ライバルに何度か負けて、代表争いでもちょっと不利になって、ということが続いた。


 永山も技が切れて、若い時自分のように自信満々で。世界で勝つ以前に、まず永山に確実に勝てるようにしないと、世界で、五輪でリベンジする機会ももう来ない。追い詰められた。


 どんな条件でもどんな体調でもそういうことと関係なく、結果として永山に勝つ。世界のライバルに対してもグランドスラムなどの海外派遣大会で絶対に負けない。鮮やかに勝つより、どんな形でも絶対に負けない柔道を追及したのだ。


 選手現役晩年の谷亮子がそうだったように、何があっても負けない、必ず勝つということを、細かに変更されるルールに対応して、衰える肉体でもできるように、柔道を修正し続けた。弱点を潰し続けた。


 思い起こせば、中学の終わり~高校はじめ、高藤は相手の足をとっての肩車やすくい投げを得意技にしていたのだけれど、ちょうどルール変更で、足をつかむの禁止になった。そのルール変更に対応できず、しばらくスランプと言うか、反則で負けたり、技が出なくなった時期があった。肩車に頼らない柔道に変更するのに苦しんだ。高藤は、「どんどん不自由になっていく」中で「さらに強くなる」という、なんというか、柔道家としての理不尽な運命と闘い続けてきた柔道家なのだ。


 その後もルールや運用方針変更は毎年のようにあり、それに対応して柔道のモデルチェンジをしなければならない。寝技を見る時間が延びるのに対応して、寝技も強化を続けた。


 現在の28歳という年齢は、瞬間的反射もスタミナも下降線であることが明らかになってくる年齢。柔道家としてはそういうフェイズに入っている。


 今日も、十分な組手になり、今までだったら、こちらから技を出し、それに反応して技を返そうとするその相手の反応に、さらにカウンターで技を出して鮮やかに勝てた。しかし、今日はそういう状況になっても、技を出さなかった。出せなかったように見えた。


 それは、カウンターの打ち合いで、力や反射神経で負ける可能性が高いと、自分でわかっていたからだと思う。


 天才的な切れ味を捨てても、金メダルを絶対取るために、組み勝っている序盤でひとつだけ反則をリードして、その状況でゴールデンスコアに持ちこんで、相手を反則のプレッシャーで追い込む。追い込んだ末に技が掛かればいいが、相手がもうひとつ反則を重ねることで勝つのでも満足する。


 天才的技の切れと、金メダルと言う結果がぴったり重なる幸運な柔道家ばかりではない。それがズレたら、多くの柔道家は金メダルを諦める。金メダルと言うか、五輪再挑戦の機会も、普通は訪れない。しかし、高藤は、諦めなかったのだ。そのことの偉大さを、そのために費やした努力を、分かっているから、吉田秀彦さんは泣いていたのである。



※高藤の試合をどのように、どれくらい見てきたか、の背景説明。

 私の子どもは、高藤と同学年、高藤が東海大相模中学・高校で活躍した時期、同じ神奈川県内のライバル校、桐蔭学園中学高校柔道部で六年間、柔道をしていた。階級は違ったし、中学では県ベスト4、高校では県予選のベスト8くらいの選手、全国トップ級の選手か集まる桐蔭学園の中では補欠クラスだったが。高藤の参加した大会には、当然桐蔭学園も参加している。親として、ビデオを片手に子供の試合と、ライバル相模の試合は、見ただけではない、ビデオ撮影を欠かさずして分析してきた。高藤の神奈川県内の試合、中学私学大会、全中予選、高校でのインターハイ予選、国体予選、関東大会予選、選手権予選、個人戦も団体戦も、全部見てきた。同学年の桐蔭学園には丸山城志郎(中学3年は相原中に転校、高校三年は福岡沖学園に転校したが)、韓国にいって世界チャンピォンになったアンチャンリン(今大会73級で大野将平のライバルとなっている)がいた。

 高藤親子が、試合の後、県立武道館から地下鉄の駅まで歩いていき、地下鉄に乗るのを、すぐ後ろから、私も我が子とてくてく歩いて、同じ電車の車両に乗ったりしたこともある。

うちの子は大学では体育会の柔道部には進まなかったが、私も子供も、高藤のシニアでの東京グランドスラムはもれなく生で観戦したし、海外のグランドスラムや世界選手権など、BSCSやネット配信で見られる試合はもれなく観戦してきた。

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