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【登頂】キリマンジャロ登山記【Day3-5】

Day3

晴れていた。芋をすりおろして水と砂糖を加えたようなお粥を朝ごはんに食べる。だいぶしんどかったけど、eat like a dog…と心の中で唱え続けて頑張って食べた。この日は登頂前の最終拠点である、4700mのキボハットを目指す。少し歩くと、雲に隠れているものの、頂上が見えるようになってきた。

怪しい薬をくれる
これ以降は川の水しかないらしい

景色の全く変わらない荒野の中を3時間程度無心で歩いていたが、徐々に頭が痛くなってきた。高山病の初期症状だと思う。高山病を予防するためには、水をたくさん飲むこととしっかり酸素を取り込むことが大切だと思っていたので、こまめに水を飲んだ。そして、ゆっくり歩いているだけだとあまり息を吸えないというか、呼吸が無意識のうちに浅くなってしまうなと思ったので、ひたすらイナズマイレブンの曲をメドレーで歌った。息を吐くからいっぱい酸素を吸えるし、元気も出るから一石二鳥の最強の作戦だと思った。

雲に隠れてるあたりが頂上

元気に1時間程度歩き、13時ごろにキボハットに到着した。から元気の蓋を開けると、息はゼエゼエ、インフルエンザくらいの頭痛があった。山小屋に入るなりベッドに倒れ込み、とにかく深呼吸をしまくって少しでも快方に向かうように努めた。食欲も全くなかったので、紅茶に砂糖を溶かしまくったやつと、パイナップルとバナナを一切れくらい食べたような気がする。なにがきついって、23時まで仮眠を取ったら軽食を食べて24時から登頂アタックをするのだ。だから、しんどさに浸る余裕はなく、治る、治す、登る、とそれだけ考えることに集中して、とにかくできる最善を尽くし続けた。

写真がほとんど残ってない

Day4

頭痛も酷い中なんとか2時間半くらい寝て、23:30くらいに起きた。外は雪が降っててめちゃくちゃ寒かったけど、体調は少しマシになっていた。深夜0:30にキボハットを発ち、山頂を目指す。相変わらずテンションの高いガイドたちと、真っ暗な中を進んでいく。山頂に続く道を昼間見ると、体感45°くらいの超急傾斜があるように見えるが、この時は星すら出てない真っ暗闇だった。ヘッドライトで足元だけを照らして、一歩一歩足を踏み出すことだけに集中すれば良いので気は楽だった。

昼間見るとこの傾斜
ジグザグに歩いて少しずつ登る

最初の方は微頭痛と眠いなぁくらいで、無心で歩いていたが、2時間くらい歩いたあたりから耐え難い頭痛と吐き気に襲われた。こういう時は、部活の走り込みで鍛えた秘策が活きる。以前のnoteで書いたように、基本的に物事に取り組む時は目的を持った方がいいと思っていて、筋トレで決めた回数をこなすこと自体を目的にしたり、走り込みを終わらせることだけを目的にするのは手段と目的を履き違えていて、あまりやっても意味がないのではないかと思っている。しかし、どうしても疲れが溜まってマジで筋トレをしたくないときや、どうしても憂鬱で走りたくない時もある。(そういう時に筋トレはすべきでないと思うが。)そんな時は、完全に心を殺すに限る。有難いことに時間は平等に流れているので、ある時間単位さえ過ぎてしまえばきつい時間は終わる。キリマンジャロ山頂までの距離は揺るぎないので、等しく同じ歩数だけ歩けば必ず山頂には辿り着く。だから、確実に一歩ずつ歩を進めながらも、完全に心を殺す。キツいとか、あと何時間とか、寒いとか、高山病大丈夫かなとか、前の人またオナラしたとか、そういうことを一切考えず、外部からの情報も自分の中での思考も極力カットして、ただただ足を前に運び続けるようにした。
(cf. eat like a dog戦法)

無心で歩き続け、アタック開始から5時間半経った午前6時頃、1つ目の頂上であるギルマンズポイントに到着した。心を殺しているので全く心が動いた記憶はないし、写真も残っていない。実はキリマンジャロには3つの頂上があり、それぞれギルマンズポイント、ステラピーク、ウフルピークと名前がついている。1つ目のギルマンズポイントでも登頂証明書は貰えて、実際この日は吹雪で大荒れだったので多くの登山者がここで引き返したらしい。

我々は幸運にも、当然のようにガイドが次を目指すと言ってくれ、最高頂を目指した。ここら辺から、頭痛と吐き気に加え、めまいも現れ、意識が朦朧としてきた。心を殺す作戦も相まって、眠りながら歩いているような、夢の中を歩いているような気分だった。山の尾根を歩いているのに、何度もよろめき倒れそうになって、その都度ガイドか同行者に支えてもらっていた。今思い返すとすごく危ないけど、正直めっちゃ気持ちよかった。低酸素とか寒さで死ぬ時は多幸感があると言うけど、今は98%くらいそれを理解できる。

ぷかぷかゆらゆら気持ちよく歩いて1時間、2つ目の頂上のステラピークに到着した。正直ガイドに止められるかなと思ったけど、なんとか最後の頂上を目指させてくれた。前情報で、ステラピークからウフルピークまでは30分程度で傾斜もほとんどないと思い込んでいて、死んでいた心に希望の光が差し込んでしまったが、これが間違いだった。余裕で急傾斜で、落ちたら死ぬかもなっていう道を、強風、吹雪の中1時間歩き続けた。もうちょっとかも知れないと思いながら全くゴールは見えず、頭が破裂しそうなくらい痛くて、吐きそうで、めまいがして、今にも倒れ込んでそのまま眠ってしまいたかった。インフルエンザなのに部活に行って7時間くらいずっと走り込みしてるくらいのきつさで、間違いなく人生で一番しんどい時間だった。

そして、キボハットを出発してから実に7時間半が経った、午前8時10分、ウフルピーク/5895mに到達した。正直、頂上に来た実感は全くなかった。雪で全く景色が見えない。「ここが標高5895mのウフルピークだ!おめでとう!」みたいなことが書いてあるはずの看板すら雪で文字が見えなくなっていた。その時の気持ちは、とりあえず写真撮らなきゃ!と一刻も早く降りたい!!苦しい!!だった。実際、ガイドからも、「この天候とその高山病であと5分でもここにいたら降りれなくなるぜ」みたいなことを言われ、めちゃくちゃ急かされた。喜びを実感する間もなく、あっという間にウフルピークを後にした。心の中で、よくやった!と少しだけ自分を褒めた。

ここまでは登頂することこそが全てで、登頂さえすれば後はなんでもいいと思っていたが、今度は当日中に2000m以上下のオロンボハットまで降りなければいけない現実が襲いかかる。めまいがより一層ひどくなり、フラフラになりながら雪の急斜面を降っていく。ガイドに、気をつけろ、みたいなことを言われるけど、返事するのもしんどすぎて無視していたら怒られた。「お前が怒るのもわかるが、お前ほんとに死ぬぞ?俺にはクライアントを安全に下山させる義務があるんだ」みたいなことを言われた。怒って無視してたわけじゃなくてしんどすぎて返事できないだけだったけど、後でめっちゃI appreciate your best effortみたいなことを伝えておいた。ここからずっとリュックの背中の輪っかを掴まれたまま下山した。

不思議なもので、1000mも降ると高山病の症状はたちまち回復した。土の急斜面をスキーのように滑りながら降りる余裕っぷりで、最高に気分がよかった。このタイミングでやっと天気が良くなり、前を見ても、後ろを振り返っても、めちゃくちゃ景色が良かった。ガイドとおしゃべりしながら、時折岩に腰掛けて休憩して、ゆっくりのんびり降りた。実に登頂開始から11時間半が経った昼の12時頃にキボハットに到着、2時間程度の小休憩を挟み、そのまま18時頃まで歩いて一気にオロンボハットまで降りた。

後ろに見える山のさらに奥が頂上
あっという間にめちゃくちゃ降りてきた

そしてなんと、このオロンボハットから車で一気にモシの街まで降りることになった。ガイド曰く、高山病で1日も早く標高を下げた方がいいとのこと。絶対1日仕事減らしたいだけだろと思ったが、雨の森を20km歩くのは嫌だったので有難く車で帰ることにした。体調不良者用のレスキューカーみたいなのに乗ることになり、同行者3人のうち1人はめっちゃ元気だったので渋られたが、たまたま歯が折れていたので、彼は歯が折れてとても苦しんでいるよ、みたいなことを言ったら全員で乗れた。

石だらけでガタガタの道をランクルで行く

そんなこんなで一気にモシの町まで降りて、間違いなく人生で一番苦しいキリマンジャロ登山が終わった。もう二度と登りたくないけど、登り終えた感想は、とにかく気分がいい!!
一番キツい雨季に、人生で一番体重が重い今、一番苦しいキリマンジャロ登頂を達成できて本当に良かった!!!

Day5

下山してから2日後の朝にダルエスサラーム行きのバスに乗ることにした。丸一日空いたので、現地で布を買って服を作ってもらったりして時間を潰していたが、とにかくうまいものが食べたかった!!!!
海外に行くと、改めて日本人がいかに食事に喜びと幸せを求めているかがわかる。アフリカに来てから、一度もよだれが出るような食事をしていない気がする。旨み成分が食べたくて仕方がない。(これから海外に行く人は、マキシマムとか、塩胡椒とか、味の素を持っていくことをお勧めします)
街をぶらぶら歩いていると、小さいレストランを見つけた。ビーフシチューと、ビーフの何かを食べてめっちゃ美味しかった。(合わせて300円くらい)

夜もうまいもんくいてえ〜と思っていたら、仲良くなったガイドのReganと町中で出会い、最後のディナー一緒に行こうぜ!と誘ってもらった。おすすめのお店を教えてもらい、町の外れにあるハンバーガーのお店に行く。ハンバーガー180円と、チーズバーガー240円、コーラ60円で乾杯した。めちゃくちゃ美味しかったし、何より最後にReganが食事に誘ってくれたことが嬉しかった。いろいろな話をして、いつか必ず再開することを約束して別れた。最初から最後までお世話になって、本当に感謝している。

アフリカのコカコーラ工場は実はモシにあるらしく安い

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