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でこぼこだっていいから



最近気がついたことがある。
私はあまり他人に興味がない、ということだ。このこと自体はずっと前から自覚していたが、今回気がついたのはその内容である。

自己評価も自己肯定感も低いけれど、承認欲求は一丁前にある。周囲の人にすごいと言われたいし、情けない姿は見せたくない。しっかり者と思われたいし、「こんなこともできないのか」なんて思われたくない。要するに、プライドが高い。すこぶる扱いにくい人物だ。そんな自分を振り返ったとき、私が認められたい『周囲の人』とは誰なのかということがふと気になった。高校生まではクラスメイトや先生だった。しかし、大学生になってからは少し違う。私が認めている人に認めてほしいと思うようになった。

尊敬する先生。大好きな友だち。尊敬する上司や先輩。
なんとも思っていない先生やただのクラスメイトとしか認識していない人には、どう思われようが興味がない。褒められれば嬉しいけれど、「きっとお世辞なんだろうな」と思う。尊敬する上司に指摘されたら「もっと頑張ろう」と思うけれど、嫌いな上司に怒られても右から左だ。むかし同人活動をしていたことがある。主にTwitterで活動していて、いいねの数に囚われて辞めた。私は書きたいから書くのであって、評価してほしいから書くのではないと思いたかった。それに、いいねを貰うことはもちろん嬉しいけれど、普段懇意にしていただいているフォロワーさんたちが個別で感想を送ってきださることが何より嬉しかった。その方々のために書いている節もあった。

noteも書きたいから書いている。評価は求めていない。評価されたいなら目につきやすいタグを使い、内容がわかりやすいタイトルをつけるべきである。こちらから積極的にフォローし、存在をアピールすればよい。しかしそれをする気はない。備忘録のように書いた文章を投稿して満足している。現時点で私の文章をコンスタントに読んでいる人はいないだろうし、好きなようにnoteというものを活用している。読んでもらえたら嬉しいけれど、読ませたいわけではないのだ。 その証拠に、私の文体はほとんど「だ・である調」になっている。読んでもらう意識がないからだ。一度だけ「です・ます調」で書いたが、どうにも違和感が拭えなかった。SNSなんて自分の好きなように使えばいいじゃない、仮想世界でまで気を張る必要はない。

ちなみに、私の今までの文章は『凍てつく夜と熱中症』以外すべて歌詞から引用している。内容に近しいものを探して、ピンときたものを拝借。これがまた楽しい。なんの曲かわかる方がいたら嬉しい。

話が脱線してしまったが、私は私が認めてほしいと思う人に認められたい。ということにnoteを始めてから気がついた。あとやっぱり文章を書くことが好きだということも。上手い下手、得手不得手はさておき、好きだ。これからも自分の「好き」を集めて、活き活きと眩しい世界を作りたい。

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